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日本の現代社会と他者―比較によって揺さぶられるという経験

 今回は趣向を変えて、私が以前発表した卒業論文の紹介を行いたい。その動機は論文で行った現実分析が現代社会を生きる人々、特に私と同世代の若者に広く共感されるのではないか、またその分析が人々の日々の生活に役立つのではないか、と実感したからである。以下では発表時に用いたスライドを適宜示しつつ、社会学の専門知識がない人にも分かるように、できる限り平易に説明を試みたい。

 要旨は以下である。「本研究では遥か60年前にアメリカの社会学者デイヴィッド・リースマンが指摘した『他人指向型』が支配的になっている日本の現代社会を扱う。そして比較によって自分が大切にしているものが揺さぶられ、違和感を覚えつつも他者に同調する『スライム状態』を取り上げる。その『スライム状態』に伴う違和感(心の痛み、疲れ)の存在を、理論と現実分析の両面から明らかにする。現実分析からはその違和感への2パターンの対処行動もまた明らかになったが、それらは自分『だけ』、あるいは自分たち『だけ』の『世界』の中で自然体で振る舞おうとする『クローズド(閉鎖的)』な姿勢である。最後に『スライム状態』への私が考える処方箋をおまけとして参考までに添えるが、対処法については読者各々の議論と創造力に任せたい。」

 

 まず私が取り上げた現実をうまく言い表した文章を、セネカの短編「心の平静について」(岩波文庫『人生の短さについて 他二篇』より)から引用する。

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 どう感じただろうか。私はこれを読んで「まさにこれだ!」と思った。他者、様々な意見、情報、価値観などと自分を比較することによって、自分が大切にしているもの(例:倹約を大切にすること)に疑いが生じる、ということは私個人も日々経験している。言い換えると比較によって自分が動揺する、あるいは揺さぶられるということだ。「こういった経験は日本の現代社会において広く見られるのではないか」と思った私は、その裏付けを探すために現実分析を行うことにした。

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 ともにアメリカの社会学者であるリースマン (David Riesman:1909-2002) の『孤独な群衆』とマートン (Robert King Merton:1910-2003) の『社会理論と社会構造』を参照した理論分析と、日経新聞の6つの記事を用いた現実分析からは上図のようなことが分かった。

 まず「スライム状態」に伴う心の痛みや疲れが現実分析から確認され、その背景が理論的に説明された。リースマンは社会集団に共通の性格を「社会的性格」と呼んだ。もちろん個々人の性格は多様であるが、その社会(あるいは時代)を生きる人々が共通して持っている特徴があるのではないか、という議論である。彼は行為の指針に注目して「社会的性格」を3つに分類したが、特に重視しているのが「内部指向型」と「他人指向型」の2つである。まず「内部指向型」は自分の内側に「ジャイロスコープ羅針盤)」(Riesman, 1961) を持つ。それは年長の世代、特に親からの厳しいしつけによって与えられ、内面化されたものである。仲間には無関心であり孤立している。それに対して「他人指向型」は周囲にいる他人やマス・メディアに登場する同時代人を指針とするため、その動向に常にレーダーを張り巡らせている。この「他人指向型」が日本の現代社会において支配的であると先に述べたが、その理由として、① 地縁・血縁から切り離される、② 消費社会への転換、③ 内面化されたジャイロスコープに疑念が生じる、④ 企業の大規模化・組織化により分業と協働が必要になる、の4つを私は挙げた。

 次にもう1つの理論であるマートンの「準拠集団」について説明する。

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 上図のように人は何らかの対象(比較対象)と自分を比較し、それに反射させて自己評価を行っている。これが他者比較(社会的比較)の1つの機能である (高田, 2011)。その比較の結果、自分の行動や態度を決める、あるいは修正する。この比較対象の候補の集合を私は「世界」と名付けた。「世界」とは接触を通して、自分の日々の生活や思考を取り巻いているものである。自分が全く知らないものと比較することができないように、比較を行うためには対象について知る必要がある。私の見立てでは、日本の現代社会において、この「世界」の中身(他者、意見、価値観、情報)が多様化・流動化している。例えばテレビの無い時代には、日本から遠く離れたブラジルの事情を知る術はほとんどなかったが、今日ではオリンピックの様子などもリアルタイムで目にすることができる。

 またスマートフォンの普及にも触れる必要がある。スマートフォンは平成22年に9.7%であったのが4年後の平成26年には64.2%と急速に普及している。20代の利用率は94.1%と最も高く、次いで30代が82.2%、10代が68.6%と若い世代での利用が目立っている。PCでのインターネット利用は、1位:オンラインゲーム、2位:情報収集・コンテンツ利用、3位:コミュニケーションであるのに対して、携帯・スマートフォンではコミュニケーションが1位であり、主な利用目的が変化していると言える (総務省, 2014a, b, c)。スマートフォンの普及が意味することは、他者の動向を知るツールが常に身の周り(身近)にあるということだ。そしてPCがまとまった時間に利用され、ネットとリアルが比較的分離されているのに対して、スマートフォンは休憩時間や空き時間といった「すきま時間」に利用され、ネット上の他者やその考え方が日々の生活に溶け込み、それを取り巻くようになっていることが伺える。

 以上のような変化によって、様々なものの見方に触れられるメリットがある反面、多量かつ多様な情報に曝されて、知らないうちにそれらに自分の「世界」(の中身)が覆い尽されていると言えるだろう。

 

 ではこういった特徴を備えた現代社会において、人々は「スライム状態」に起因する違和感にどう対処しているのだろうか。先ほどの図を再掲する。

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 日経新聞社の6つの記事(「疲れずにつながりたい ひそかな人気「匿名」SNS」、「『ぼっち』高校生描いた小説、ベストセラーの理由」、「引き算の世界 (3) 一人満喫『ぼっち派』堂々」、「SNS疲れ? 相手限定アプリで本音の付き合い」、「家族も仲間もいるけど… 1人を満喫『ぼっち族』」、「カップル専用アプリが流行 音楽業界も新市場に注目」といったヘッドラインである)を用いた現実分析からは、図のように2タイプの対処行動が明らかになった。つまり、① 他者を切り捨て、自分「だけ」の世界に閉じこもり、自分を守ろうとする、② 漠然とした他者に区別を設け、自分たち「だけ」の世界では自然体で振る舞おうとする、の2つである。

 6つの記事に加えて、総務省の「社会生活基本調査」からも興味深いことが分かった。それが「家族回帰」である。下表のように、1996年から2011年にかけて、10代で顕著に1人でいる割合が減少し、家族や学校の人と過ごす割合が増えていることがわかる。

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 そして面白いことに「休養・くつろぎ」と「趣味・娯楽」に限定すると、下の表のように10代で顕著に学校の人といる割合が減り、家族といる割合が増えていることがわかった。

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 多様な他者と接する時間が増え、それに伴って「スライム状態」に陥り、疲れを感じているので、せめてくつろぎの時間は信頼できる家族とのんびり過ごしたい、という若い世代が増えていると解釈できるのではないだろうか。

 この2つの対処行動は、自分「だけ」、自分たち「だけ」の世界を志向している点で、「クローズド」という言葉でまとめられる。つまり、限定的で守られた世界では自由に振る舞うということだ。そしてその世界以外では比較によって揺さぶられる、という両極端な状態である。

 

 以上が現実分析であった。しかし「スライム状態」を実体験している私としては、以上の対処行動に納得することはできない。なぜなら守られた世界に逃げ込むだけでは、問題の根本的な解決になっていないからだ。そこで蛇足ではあるが、私が考えた処方箋をおまけとして付け加えたい。

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 まず私が目指すゴールは「他者やその考え方とうまく付き合っていく」ことであり、「他者が全く気にならない」ことではない。どれだけ精神を鍛えても後者は不可能であり、またもし仮にそんな人がいたとしたら傍若無人な人である。うまく付き合っていくためには、オープンな姿勢、あるいはマインドを持って「世界」の中身と向き合い(働きかけ)、それらを整理する必要がある。

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 整理するプロセスを上図に示した。まず「フィットする」もの、例えば、波長が合う(自然と同調する)、肌に合う、性に合う、と表現されるものを切り分ける。「何となく自分に合いそう」と思ったら「フィットする」ものの集合に入れる。しかしある時「やっぱりちょっと違うな…」と思ったら、外に出す。これを繰り返して自分なりの感覚(フィット感)を練り上げ、「世界」の中身との距離感を微調整していく。だがこういった意識的なプロセスでフィルターを作り上げても、その区別を「あっさりとすり抜け」(高橋, 2007)、「世界」の外から飛び込んでくるものとの出会いがある。その体験は「体験選択」と呼ばれるが、ここでは詳しく触れない。関心のある読者は『行為論的思考』(高橋由典 著)のご一読を進める。

 

 以上で論文の紹介を終わります。ご清聴ありがとうございました。

 私の拙い現実分析が日本の現代社会で日々の生活を送る読者の助けになれば、これ以上の喜びはありません。

 

参考文献

浅野智彦 (2013)『「若者」とは誰か』河出書房新社.

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日本経済新聞b (2015/7/29)「『ぼっち』高校生描いた小説、ベストセラーの理由」

日本経済新聞c (2016/4/14)「引き算の世界 (3) 一人満喫『ぼっち派』堂々」

日経MJ a (2012/9/24)「SNS疲れ? 相手限定アプリで本音の付き合い」

日経MJ b (2014/12/5)「家族も仲間もいるけど… 1人を満喫『ぼっち族』」

日経エンタテインメント! (2015/10/5)「カップル専用アプリが流行 音楽業界も新市場に注目」

総務省 (2014a)「平成26年度版 情報通信白書」

総務省 (2014b)「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」

総務省 (2014c)「通信利用動向調査」

総務省「社会生活基本調査(平成8年度、13年度、18年度、23年度)」