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「イノベーションの設計者」の役割~フォーカスし、外の世界と繋がる~

 前回の記事(イノベーションに伴う困難とその解決策)では、「イノベーション」という言葉がビジネスの界隈でよく聞かれるにもかかわらず、実際にはそれほど起きていないことを問題視し、その解決策について考察を行った。その結論は、イノベーションの指導者に求められるいくつかのスキルを、1人の人間が全て兼ね備えている、すなわち「天才」である必要はない、というものであった。

 

 今回はその続きとして、組織によるイノベーションと、その全体をプロデュースする「イノベーションの設計者(innovation architect)」について考えてみたい。

 

 以下の議論では『イノベーションは日々の仕事のなかに』という文献を参照する。この本は「イノベーションの設計者(architect)」というコンセプトを提唱し、イノベーションに取り組む際に、個人の特性を変えることではなく、環境やシステムのほうに微調整を加えることで、各自の革新的な行動を積極的に促す、ということにフォーカスしている。これは行動科学の「人間の行動=個人の特性×環境(システム)」という考え方に基づいている。

 

 少し話が逸れるが、建築の分野に「環境決定論(environmental determinism)」という考え方がある。それは建物の設計を工夫することで人の行動をコントロールし、犯罪を減らしたりすることができるとするものである。ただ建築では一度建設してしまうとシステムを変更することが難しく、それによって人々の行動が画一的になってしまうという問題が発生する。そこで解決策として「相互浸透論(transactionalism)」、すなわち、環境と人間が相互に働きかけながら最適な住環境を構築することを目指す、よりフレキシブルな考え方が出てきている。

 

 とにかく体系的かつ持続的にイノベーションを創出することが近年企業において特に求められているため、職場のDNAに創造性を埋め込むことが必要となるのである。そうすれば誰もが内に秘めた創造性(「天才の一片」)をうまく発揮することができる。

 

 次にこの文献で述べられているイノベーションのための5つの行動のうち特に重要である4つを紹介したい。(今回は1と2についてのみ詳しく述べる。)

  1. フォーカス(焦点を絞り込むこと)
  2. 外の世界とつながること
  3. 「アイデアをひねる」こと
  4. 諦めないようにすること

 

1.フォーカス(焦点を絞り込むこと)

 まずこれはイノベーションを「日常的に」かつ「効率的に」発生させるために必要な行動である。「むしろ積極的に制約を与えて部下を導き、真に重要な事柄に集中できるよう彼らをサポートする方が、大きな成果があげられる」のである。問題が具体的でなければ創造性を発揮することは難しい。

 

 そして具体的な3つのアプローチとして

  (1)目標を明らかにする

  (2)制約を明らかにする

  (3)追究領域を見直す

 ことをあげる。

 

 ただし全く未開拓の分野においてはそもそも進む方向を示すことが難しいので、その場合は(2)のように一定の予算と時間を与え、(3)のように探索ドメインを限定し、その中で何らかの成果をあげるように指示を出すことがリーダーやイノベーションの設計者の仕事として必要となる。

 

 この行動の必要性を補う議論として、心理学者であるBarry Schwartzが提唱する「選択のパラドックス(“The paradox of choice”)」というコンセプトがある。これは選択肢が多いと自由を感じるのではなく、判断が難しくなり、むしろ不幸になるということである。この傾向は、近年のように商品の種類が非常に多くなり、その中から本当に自分にフィットしたものを選択するのが難しく、そのためセレクトショップやキュレーションがビジネスとして盛んになっていることからも容易に理解できる。

 

2.外の世界とつながること

 上でも再三述べたがイノベーションの本質は、新結合、つまり今あるものの結合の仕方を変えることである。したがって、異なる分野の人と交流することが創造性の発揮に必要となる。

 

 フランツ・ヨハンソンの『アイデアは交差点から生まれる』では「交差的イノベーション」というコンセプトを導入している。それは、複数の分野に属する概念を結びつけ、新しい価値を生み出すこと」と定義され、優れた価値を持つアイデアを改良することでさらに大きな価値を創造することを示す「方向的イノベーション」と区別される。C.クリステンセンの「破壊的イノベーション」と「持続的イノベーション」に似た区別だが、イノベーションの起き方に注目している点が異なる。

  そして彼は「交差的イノベーション」をなし遂げた人を分析し、その共通点として、(1) さまざまな文化にふれた経験(文化多様性) 、(2) 既成の教育にはない学び方、(3) 思い込み(最も基本的な前提)を逆転する、(4) 違う視点に立って物事を見る、の4つを挙げている。このような資質を持った人は、異なる分野・領域へのバイアスや先入観が少なく、そこから素直に学び取ることができると考えられる。

 

  • 「組織として」外の世界とつながる

以上はあくまで個人の特性についての議論であるが、その特性を発揮させる環境を整備することもできる。「つながり」としては以下の3つがあり、(1)部下と顧客、(2)部下と上司・部下、(3)部下と新たな世界、である。まず以下をまとめた図を示す。

 

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(1) 部下と顧客(企業と消費者のつながり)

 『イノベーションは日々の仕事のなかに』ではマイスターバックスイデアという施策を例としている。それはスターバックスが行った、SNSなどを用いて顧客に改善のアイデアを問うものである。しかしこの施策で得られたアイデアは平凡なものばかりである。(多数の顧客との関係構築に成功しており、マーケティングとしては成功と言えるが…)

  この施策が失敗した原因は、人が基本的に自らの行動の真の理由に気付いていないことである。日常生活においては無意識に行っている行動が多いだろうし、また理由を尋ねられても「なんとなく」と答えることが多いのではないだろうか。

 

 この失敗から学んで消費者とのつながり方を改善するとすれば、顧客と個人的に密接な関係を構築し、その行動を観察し、そこからインサイトを得ることを目標とすべきであろう。そこから顧客の抱える「潜在的な不満」を見つけ出し、それを解決するために独創的な方法を用いればよいのである。(経済学における顕示選好と表明選好の議論も参照。)

 

(2) 部下と上司、部下と部下(企業内部のつながり)

次は企業内部のつながりを考える。「上下の風通し」が重要であるといわれて久しいが、それはどうすれば実現されるのだろうか。2012年2月号のDHBRでは交流を生み出す職場デザインを特集しており、物理的だけでなく、社会的・心理的な距離をなくすことで交流を誘発し、交流を望まない時にはプライバシーが確保されることが必要と述べられている。

 

 かつての(?)日本には「飲みニケーション」という言葉があるが、これも上司が部下を飲みに連れていくことで、仕事におけるノウハウを伝達するとともに、上下の意思疎通を円滑化する工夫であったと考えることができる。ただし先に述べたように、交流を望まない人や、交流したくないとき、への配慮や柔軟な対応が欠かせない。(行動経済学者のR. ThalerとC. Sunsteinが提唱する「リバタリアンパターナリズム(libertarian paternalism)」や「選択アーキテクチャ」という考え方がおもしろい。)

 具体的な施策としては、チームに様々なバックグラウンドの人や他部署の人を招くことで、異なる視点を取り入れることが紹介されている。

 

 しかし、2人の人を連れてきたところでコミュニケーションは発生しない。以下の図のように、意見の異なる人を連れてくることとともに、交流を促すファシリテーションが鍵となる。

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(3) 部下と新たな世界

 この新たな世界とのつながりが最も難しく、最も重要である。ソーシャルメディアや書籍からトレンドや全く別の分野の知見を輸入することや、ユニークなインターンを採用することで企業内部からは出ないような斬新なアイデアを取り入れることが具体的な施策である。

イノベーションに伴う困難とその解決策

今回はイノベーションに伴う困難と解決策を整理する。

イノベーション」という言葉をよく耳にするが、それが少ししか実現されていない理由を明らかにし、その現状を変えることを目的とする。

 

まずこの文章のまとめとして以下の図を示す。適宜参照されたい。

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イノベーションを起きやすくする要因については様々な説があるが、実際にイノベーションが頻繁に起きていない原因は、それに伴う様々な困難にある。シュムペーターは著書において以下の3つを困難として挙げる。

  1. 「決断のための与件や行動のための規則がなくなってしまう」
  2. 「経済主体は新しいことに反対し、たとえ実際上の困難が存在しない場合にもなお、これに反対する」
  3. 「一般にあるいは経済面で新しいことをおこなおうとする人々に対して向けられる社会環境の抵抗」

まず1つ目について、新結合の遂行は、従来の慣行的な反復とは全く異なる不連続なものであり、過去の成功事例などを参考にして現在や未来の戦略を立てることができない。この場合、事象が起きる確率だけでなく、その事象の内容すらも分からないというKnight流の不確実性に直面することとなる。失敗する確率が高くなるのは自明である。「これをすればイノベーションが必ず起きる」といった成功のメソッドはなく、幸運など数多くの制御が非常に難しいファクターが関係している。

2つ目と3つ目に共通することは、人間とその集合である経済はリスク回避的で不確実性を好まないため、現状を維持することにこだわる、ということだ。たとえその現状が間違ったものであっても、自然淘汰の過程を経て現在まで長らく残っていれば、それを正当化する何かしらの理由を見出すのである。

そして2と3の困難を分類するとすれば、変革を起こそうとする「個人(自己)」に起因する困難と、その変革に対する「社会(他者)」に起因する困難に分けられるだろう。つまり個人の場合は、固定的な思考習慣のせいで、今までの自分の考え方や思考の枠組み(フレーム)を変化させ、物事を今までとは違う視点で見ることが難しい。そして集団と違う行動をとることに対して社会からも反発があるため、受け入れてもらうためには多くの人を説得する力が必要となる。

 

  • 「指導者活動」の必要性

そしてこれらの困難を克服するために特殊な類型である「指導者活動」が必要となるとシュムペーターは続ける。その特徴をまとめると以下の3つに集約される。

  1. 不確実性や周囲の反対をものともしない(「ひとりで衆に先んじて進み、不確実なことや抵抗のあることを反対理由と感じない能力」)
  2. 特殊な視点を持つ(「確固たる事物をつかみ、その真相を見る意志と力」)
  3. 卓越したリーダーシップを持つ(「他人への影響力」「人を服従させる力」)

それぞれ上で述べた困難に対応している。1つ目は先見の明(「事態を見通す力」)を持ち、数多くの不確実性や反対に屈することなくイノベーション遂行に邁進するということを意味する。2つ目は革新的なものの見方によって問題やその解決策のリフレーミング(reframing)を行い、「経路依存」や「現状維持バイアス」を乗り越えてイノベーション発生させるということを意味する。3つ目は変化を恐れるほとんどの人を説得し、困難を乗り越えてイノベーション普及させる力を持っているということを意味する。

 

  • 疑問

このような能力をすべて兼ね備えているのは確かに特殊な人であるし、指導者になれる人は少数であることは経験的に理解できる。しかしイノベーションを発生させ、遂行し、普及させるというイノベーションの段階において、これらを1人が全て同時に持っている必要があるのだろうか

また本当に今までのイノベーションは1人の「スーパースター」によってなし遂げられたのだろうか。Steve Jobsは1人でiPhoneiPodなどの革新的な製品を生み出したのだろうか。電球を発明し、発電から送電までを含む電力システムの事業化に成功したとして知られるのはThomas Edisonだが、それは彼だけが特殊な能力を持つがゆえになし遂げたことで、他の「凡人」にはとうてい不可能なことだったのだろうか。

 

 

 

  • イノベーターはスーパースターでなくてもいい

こういったイノベーションが特別な類型である指導者、すなわち「個人」によってなし遂げられるという、「たった1人の発案者」という神話に対して私は疑問を感じる。まず4節でシュムペーターの議論を用いて示した指導者の特徴について、それを1人の個人、すなわちイノベーターがすべて兼ね備える必要があるのかについて考えてみたい。そこで1~3の能力を個人のスキルとチーム全体のスキルに分解して述べる。

 

  • 1つ目 ―集団で不確実性を乗り越える

まず1について、不確実性に対抗できるようなチャレンジ精神や強い意志を持った人は確かに存在する。単に向こう見ずなのかもしれないし、先見の明をもって不確実性を越えた先にあるものの価値を確信しているので、不確実性など存在しないと思っているのかもしれない。しかし経済学が想定するように、そのような人は少数派ではないだろうか。

では組織の仕組みを変えることで不確実性に対処してはどうだろうか。例えばある程度の失敗を許容するような評価システムを作り、新規事業を立ち上げて失敗しても昇進に悪影響を与えないことを保証すれば、その組織のメンバーは以前よりもリスクを取って挑戦するだろう。また先の例はイノベーションの創出に取り組むためのマインドに対する対処だが、実際にアイデアが固まってきた際にプロトタイプを作り試してみるなどの「デザイン思考」を用いたリスクの低減方法がある。個人の能力に頼るだけではなく、システムをうまく設計することによってもクリアできる問題である。

 

  • 2つ目 ―みんなどこか変わっている

2について、物事を特殊な視点から見るスキルを持つ人は存在するだろう。「ユニークだ」と言われる人はそのようなスキルを持っている。これに関しては様々な要因があるが、トレーニングややその人の興味の赴くままに自由にさせることなど教育によって素質を伸ばすことができるのかもしれない。また孟母三遷の教えにもあるが、周囲の環境をうまく調整することもそのようなスキルを育むためには必要かもしれない。

では次に組織が特殊な視点を持っているというのはどういうことだろうか。つまり企業であれば新製品開発のプロジェクトチームにおいて、解決しようとしている問題またはその従来の解決策の捉え方を変えることで、今までとは違う革新的な製品を生み出すことができるような組織である。それには意見の多様性と自由闊達な意見交換を可能にする(Affordする)雰囲気を作り出すことが必要となる。前者はチームメンバーの選定外部の人間との交流の機会を設けることが鍵となり、後者はチームリーダのファシリテーション能力に関わっている。つまり1×1を1以上にすることができる組織である。したがってイノベーターが「ユニークである」ことは必ずしも必要ではなく、チームのメンバーにそれぞれの強みやユニークさを発揮してもらい、その化学反応を促進することによってもイノベーションは起きるのではないだろうか

 

  • 3つ目 ―「リーダーシップ」とは?

3について、ビジョンを示し多くの人を惹きつけるリーダーも歴史には散見されるが、よほどのカリスマ性が必要で天賦の才ではないかと思う。これは対多数のリーダーシップであるが、対少数のリーダーシップ、すなわち数人~数十人のチームを率いることは前者ほどの困難はないように思われる。またリーダーというと外向的な人をイメージするが、少人数のチームでればリーダーが外向的であることもイノベーターの創出や遂行にはそれほど必要ない。イノベーションを普及させる際には、営業部隊などそれの得意な人に任せることでも代用が可能だ。余談だがスーパーリーダーシップという考えがあり、それはチームの個々人が特にリーダーが存在しない状況でも主体的に行動することを指す。このように「卓越したリーダーシップ」もイノベーターが絶対に持っていなければならないスキルではない。

イノベーションとは何か?

  近年多用されている「イノベーション」という単語であるが、その定義は非常に曖昧である。文献によって技術革新と定義したり、その技術を実用化するところまでを定義したりしており、定義が異なるままにそれらをひとまとめにしてイノベーションの議論として扱うことは混乱を招く。そこでこの節では複数の文献を参照しながら、イノベーションの定義について再考し、また洗練することを試みる。

 

 まず「イノベーション」という言葉を使用し始めたのはオーストリア学派の経済学者として知られるシュムペーターである。彼は著書である『経済発展の理論』において、経済の循環とそれを打ち破るものとしての新結合(new combination)について論じており、「発展の形態と内容は新結合の遂行という定義によって与えられる」と述べる。彼の議論における新結合とは、今までの経済循環、すなわち「慣行の軌道」に対して、それらとは質的に全く異なる方法で存在するものや諸力を結合させるというものである。

 その他にも様々な定義がある。以下ではその一部を紹介したい。

  •  「イノベーション(英: innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術の発明を指すと誤解されているが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。」(Wikipedia)
  •  「科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会的価値や経済的価値を生み出す革新」(第3期科学技術基本計画)
  • 「この本で扱うイノベーションとは、直接的には「技術」の革新を意味する。しかし、その「技術」は製品などのハードだけでなく、ソフト・サービス・技能・アイデアなどを包含する幅広い概念」(『イノベーション戦略の論理』)
  • 「単に新しい技術や製品をさす言葉ではなく、その結果、 新しい価値が生まれ、社会や暮らしによい変化をもたらすことを意味します。」(P&G)
  • 「昨日までとは違う行動によって、成果を生むこと」(『イノベーションは日々の仕事のなかに』)
  • 「これまでにない価値の創出につながる新しい変化」「人間の知覚や行動、習慣、価値観を揺さぶり、画期的かつ不可逆な変化を生み出す営み」(東大i.school)

 

 まとめると「革新的な技術とそれを活用するアイデアを組み合わせることで新たな価値を生み出し、社会を変革すること」といった意味である。シュムペーターは「たとえば駅馬車から汽車への変化のように、純粋に経済的なものでありながら、連続的にはおこなわれず、その枠や慣行の軌道そのものを変更し、「循環」からは理解できないような他の種類の変動を経験する。このような種類の変動およびその結果として生ずる現象こそわれわれの問題設定の対象となる」と述べる。「純粋に経済的」というのは、社会以外の与件(自然状態など)の変化や経済以外の社会的与件(戦争や経済政策など)の変化など、外部環境の変化に起因しない、経済の自発的変化という意味である。そして連続的変化ではなく、ジャンプによって発展が実現されるのである。このような「新結合」は従来の経済を根底から覆す非常に大きな変化であり、そう簡単には起こらない。

 

 また「イノベーションのジレンマ(Innovator’s Dilemma)」で有名なHarvard Business Schoolのクレイトン・クリステンセンはシュムペーターのようなイノベーションを「破壊的イノベーション(Disruptive Innovation)」と呼び、現在の延長上にある改善を「持続的イノベーション」と呼んで区別している。破壊的イノベーションとは、従来製品(技術)の価値を破壊するかもしれない、まったく新しい価値を生み出すことである。これに関しては彼の議論はハードディスクドライブの分析に基づいており、確かに技術についてはクーンが述べる「パラダイムシフト」によって陳腐化してしまうということがあるだろう。しかし過去をすべて否定するという進歩史観には私は同意できず、あくまでも過去の蓄積の上に現在が成り立っているという重層的歴史観を採用したい。

 それに対して後半の定義は、まとめると、技術にこだわらず「従来とは異なる行動によって、今ある循環を揺さぶり、変化をもたらすこと」というより広い定義となっている。ちなみに最後に取り上げた東大i.schoolがまとめた文献では、従来のイノベーションに対して「価値創造が目的であるのに、価値創造の手段である技術開発が目的となっている」という問題点を指摘し、「人のライフスタイルや価値観の変化を誘導する」ことを目的として「人間中心のイノベーション」というコンセプトを掲げている。つまり今まで常識とされ、誰も疑いを持たなかったことに対して、多様かつ新たな見方や解決策を提供することである。このようなイノベーションの例を挙げるとすれば、近年UberやAirbnbなどのサービスで有名になったシェアリング・エコノミーや、少し古いがウーマンリブなど女性の社会進出がある。前者は従来の「私有」という考え方にこだわらずに多くの人で利益を分け合おうとするものであり、後者は専業主婦や家庭に属するものとしての女性の固定観念を払拭し、女性に新たな機会を与えたという点でイノベーションである。


 以上のように「イノベーション」と一口に言っても、大きく分けて2つの考え方があるように思われる。そこで私は前者のシュムペーターのような定義を「技術イノベーション(technology innovation)」、後者のより広い定義を「コンセプトイノベーション(concept innovation)」と名付け、区別したい。技術イノベーションを起こすためには後で述べるように多様かつ大きな困難があり、それを実現できるのは特殊な類型である企業者のみである。しかしコンセプトイノベーションであれば、現在当たり前だとされている考え方や価値観を覆すだけでも実現されるので、多くの人が少しは体験したことのあるもの(E.g. いつもと違う道を通って通勤する等)であり、もう少しハードルの低いものとなるだろう。

 また両者の区別としては、技術イノベーションが経済を通して社会変革を目指すのに対して、コンセプトイノベーションは経済を必ずしも必要とはせず、直接的に社会を改善するものである、ということも言えるだろう。近年CSR(Corporate Social Responsibility)に代わって、CSV(Creating Shared Value)という考え方が台頭しているが、そのコンセプトと同じように、法人である企業とそれ以外の個々人が、生み出された新たな価値を共有することが目指す地点である。そして現在、コンセプトイノベーションの担い手は学者やNPOなどであるが、それを資本や人材を豊富に持つ大企業が主体となって起こせないのかについても考察したい。