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イノベーションとは何か?

  近年多用されている「イノベーション」という単語であるが、その定義は非常に曖昧である。文献によって技術革新と定義したり、その技術を実用化するところまでを定義したりしており、定義が異なるままにそれらをひとまとめにしてイノベーションの議論として扱うことは混乱を招く。そこでこの節では複数の文献を参照しながら、イノベーションの定義について再考し、また洗練することを試みる。

 

 まず「イノベーション」という言葉を使用し始めたのはオーストリア学派の経済学者として知られるシュムペーターである。彼は著書である『経済発展の理論』において、経済の循環とそれを打ち破るものとしての新結合(new combination)について論じており、「発展の形態と内容は新結合の遂行という定義によって与えられる」と述べる。彼の議論における新結合とは、今までの経済循環、すなわち「慣行の軌道」に対して、それらとは質的に全く異なる方法で存在するものや諸力を結合させるというものである。

 その他にも様々な定義がある。以下ではその一部を紹介したい。

  •  「イノベーション(英: innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術の発明を指すと誤解されているが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。」(Wikipedia)
  •  「科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会的価値や経済的価値を生み出す革新」(第3期科学技術基本計画)
  • 「この本で扱うイノベーションとは、直接的には「技術」の革新を意味する。しかし、その「技術」は製品などのハードだけでなく、ソフト・サービス・技能・アイデアなどを包含する幅広い概念」(『イノベーション戦略の論理』)
  • 「単に新しい技術や製品をさす言葉ではなく、その結果、 新しい価値が生まれ、社会や暮らしによい変化をもたらすことを意味します。」(P&G)
  • 「昨日までとは違う行動によって、成果を生むこと」(『イノベーションは日々の仕事のなかに』)
  • 「これまでにない価値の創出につながる新しい変化」「人間の知覚や行動、習慣、価値観を揺さぶり、画期的かつ不可逆な変化を生み出す営み」(東大i.school)

 

 まとめると「革新的な技術とそれを活用するアイデアを組み合わせることで新たな価値を生み出し、社会を変革すること」といった意味である。シュムペーターは「たとえば駅馬車から汽車への変化のように、純粋に経済的なものでありながら、連続的にはおこなわれず、その枠や慣行の軌道そのものを変更し、「循環」からは理解できないような他の種類の変動を経験する。このような種類の変動およびその結果として生ずる現象こそわれわれの問題設定の対象となる」と述べる。「純粋に経済的」というのは、社会以外の与件(自然状態など)の変化や経済以外の社会的与件(戦争や経済政策など)の変化など、外部環境の変化に起因しない、経済の自発的変化という意味である。そして連続的変化ではなく、ジャンプによって発展が実現されるのである。このような「新結合」は従来の経済を根底から覆す非常に大きな変化であり、そう簡単には起こらない。

 

 また「イノベーションのジレンマ(Innovator’s Dilemma)」で有名なHarvard Business Schoolのクレイトン・クリステンセンはシュムペーターのようなイノベーションを「破壊的イノベーション(Disruptive Innovation)」と呼び、現在の延長上にある改善を「持続的イノベーション」と呼んで区別している。破壊的イノベーションとは、従来製品(技術)の価値を破壊するかもしれない、まったく新しい価値を生み出すことである。これに関しては彼の議論はハードディスクドライブの分析に基づいており、確かに技術についてはクーンが述べる「パラダイムシフト」によって陳腐化してしまうということがあるだろう。しかし過去をすべて否定するという進歩史観には私は同意できず、あくまでも過去の蓄積の上に現在が成り立っているという重層的歴史観を採用したい。

 それに対して後半の定義は、まとめると、技術にこだわらず「従来とは異なる行動によって、今ある循環を揺さぶり、変化をもたらすこと」というより広い定義となっている。ちなみに最後に取り上げた東大i.schoolがまとめた文献では、従来のイノベーションに対して「価値創造が目的であるのに、価値創造の手段である技術開発が目的となっている」という問題点を指摘し、「人のライフスタイルや価値観の変化を誘導する」ことを目的として「人間中心のイノベーション」というコンセプトを掲げている。つまり今まで常識とされ、誰も疑いを持たなかったことに対して、多様かつ新たな見方や解決策を提供することである。このようなイノベーションの例を挙げるとすれば、近年UberやAirbnbなどのサービスで有名になったシェアリング・エコノミーや、少し古いがウーマンリブなど女性の社会進出がある。前者は従来の「私有」という考え方にこだわらずに多くの人で利益を分け合おうとするものであり、後者は専業主婦や家庭に属するものとしての女性の固定観念を払拭し、女性に新たな機会を与えたという点でイノベーションである。


 以上のように「イノベーション」と一口に言っても、大きく分けて2つの考え方があるように思われる。そこで私は前者のシュムペーターのような定義を「技術イノベーション(technology innovation)」、後者のより広い定義を「コンセプトイノベーション(concept innovation)」と名付け、区別したい。技術イノベーションを起こすためには後で述べるように多様かつ大きな困難があり、それを実現できるのは特殊な類型である企業者のみである。しかしコンセプトイノベーションであれば、現在当たり前だとされている考え方や価値観を覆すだけでも実現されるので、多くの人が少しは体験したことのあるもの(E.g. いつもと違う道を通って通勤する等)であり、もう少しハードルの低いものとなるだろう。

 また両者の区別としては、技術イノベーションが経済を通して社会変革を目指すのに対して、コンセプトイノベーションは経済を必ずしも必要とはせず、直接的に社会を改善するものである、ということも言えるだろう。近年CSR(Corporate Social Responsibility)に代わって、CSV(Creating Shared Value)という考え方が台頭しているが、そのコンセプトと同じように、法人である企業とそれ以外の個々人が、生み出された新たな価値を共有することが目指す地点である。そして現在、コンセプトイノベーションの担い手は学者やNPOなどであるが、それを資本や人材を豊富に持つ大企業が主体となって起こせないのかについても考察したい。