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OWLの思考

坂 / 雲 / 経営学 / 社会学 / 労働観 / work-nonwork balance / HR Tech

企業者は特別な類型なのか?

おはようございます。

蝉が大合唱しているが、なんとなく秋を感じる。

まあとりあえず今日の1枚。さすが夏の雲。

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(撮影者:私)

 

今日は以前の自主ゼミでの議論で疑問に思ったことを考察したい。

まず自主ゼミではシュムペーターの『経済発展の理論』という本を読んでいる。これはイノベーションの古典といわれ、「新結合」という概念を提示したことで有名た。

 

今回は「企業者」について主に述べている部分を読んだ。これは現代で言うところの「起業家」であって、

企業者の機能は生産要素を循環的にではなく、今までとは違う方法で結合し、統合することである

そうだ。

具体的な経営体を組織して、循環を回していく主体を「企業」としてシュムペーターは区別している。これはしっくりくるもので、現在も経済の文脈でのイノベーションを担っているのはベンチャー企業などの新興勢力である。ただし彼は

だれでも「新結合を遂行する」場合にのみ基本的に企業者であって、したがって彼が一度創造された企業を単に循環的に経営していくようになると、企業者としての性格を喪失するのである。

と述べ、企業者は0から1を生み出しても、それが循環として確立され、それを監督するだけになれば、企業者でなくなるということである。つまり企業者であり続けるためには、新結合の遂行、すなわち「既に存在する物や力の結合を変更する」ことを続けなければならない。そしてシュムペーターの意味での「新結合」を実現するためには、それによって経済循環を根本的に変えるような大きな変化を起こさねばならない。

 

とまあ難しい内容であったが、こんなすごいことができる企業者は「特別な類型」であるらしい。

つまりシュムペーターはこの類型は人口に正規分布していると述べる。

下位1/4は「経済上の創意に乏しく」「憐れむべき役割」しか果たさない。

真ん中は「正常」というか普通。

そして上位1/4が「創意」に富む「指導者」である。

 

確かに彼の言うような「新結合」は難しいだろう。(というか起きてるのだろうか…?)

だが東大ischoolがHPで紹介するような

人間の知覚や行動、習慣、価値観を揺さぶり、画期的かつ不可逆な変化を生み出す

ことは、少なくとも半分くらいの人にはできそうである。

仮にこのようなイノベーションを「小さなイノベーション」と名付けると、1人では難しくとも、やる気のある2,3人や優れたファシリテーターやリーダーのいるチームであれば可能なのではなかろうか。

 

物事を見たり、理解したりするのに人は決まった枠組(フレーム)を用いているが、その枠組みは人それぞれである。

H.サイモンや行動経済学が想定する人間は限定合理的で、持っている知識も少ないし、世界を見る目も完全ではない。だから行動経済学では人間が持つ様々な「バイアス」を問題視している。

その決まった枠組があるからこそ、普通に街中を歩けるわけだし、あらゆるものを想定してすべてのことに驚いていては、一歩も進めない。習慣や「慣行の軌道」は必要なのである。

 

しかしそれがバイアスを含んだものであるという事実は変わらない。家族が良くも悪くも似ているのはご存じのとおりである。バイアスを助長している場合があるからである。(家族ほど制約と監視がない組織も珍しいと思うし、それがDVの1つの原因だと思うが、今回はそれには触れない)

 

そのバイアスをいかにして外すか、というところに「対話」の役割があるのだろうし、企業などの組織やプロジェクトチームを編成する理由があるのではないか。

様々な専門分野・考え方・感性・育ってきた環境を持った人々が集まり、活発に意見を戦わせることで、個々人は企業者(=イノベーター)でなくとも、「小さなイノベーション」を起こすことはできるのではないだろうか?

そしてその環境を設計・デザインする、「イノベーション・アーキテクト(イノベーションの建築家)」が必要なのだと思う。この人は確かに「特別な類型」かもしれないが…笑

 

イノベーションで仕事をワクワク(もくもく?)するものにし、家庭によいフィードバックをもたらしたい。