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仕事観の変遷②(キリスト教社会)―仕事観の背景にある宗教

 様々な時代の様々な仕事に対する考え方(仕事観)を参照することで自分に合った働き方を模索しよう、という試みの第2回である。前回は「仕事観の変遷①(古代ギリシャ)―労働を取り除く or 積極的に評価する」と題して、労働に対する2つの正反対の考え方を紹介した。

 今回はもう少し時代を進めて、キリスト教が登場した後の西洋世界(ヨーロッパ、アメリカ)の働き方について紹介したい。日本はキリスト教社会ではないので、あまり馴染みのない話が展開されるように多くの読者は思われるかもしれない。だがよく検討してみると、現代日本でもしばしば耳にする「勤勉」を重視する価値観の背景にある宗教の存在が明らかになってくるだろう。

 

(1) 古代キリスト教カトリック

 西洋世界において人々の生活に非常に大きな影響を及ぼすのはキリスト教である(あった)。Tilgher (1929) によるマタイの福音書の引用には、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。……神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば……これらのものはすべて与えられます」とある。このように労働や富それ自体は軽視された。先の古代ギリシャ人の考え方と同じように、日々の生活を超越したもの(神)が設定されたことで、仕事や労働が顧みられることはほとんどなかった。唯一労働が必要とされるのは、心と体の健康を維持し、悪い考えや邪な本能を抑え込む手段としてであり、「労働それ自体には何の価値も認められていなかった」(Tilgher, 1929)。

 中近世のカトリック社会では「各個人は、親の職業を世襲的に引き継ぎ、その身分と階級にとどまっていなければならなかった」(Tilgher, 1929)。つまり身分と職業が対応し、それらは神によってあらかじめ定められていると考えられていた。日本でも江戸時代の「士農工商」のように職業によって身分が定められていたことがあるし、現代社会においても、職業によってある程度は社会的地位が決まっている(例:医師、弁護士)と言えるだろう。

 そして「神の法則の前では、労働は決して真に自立した尊厳ある目的には至らず、<生>という目的の単なる副次的な手段にとどまっている。同様に<生>は、決してそれ自体が尊厳ある目的にはならず、来世という真の目的の単なる副次的な手段にとどまる」(Tilgher, 1929) のであった。つまり「労働 → 現世(生)→ 来世」という手段→目的関係(図式)がキリスト教徒のあいだでは広く共有されていた。「世俗生活は宗教的には価値の低いものとみなされていた」(高橋, 2011) ので、人々は世俗を離れた修道院で禁欲に励んでいた。禁欲とは「欲望にとらわれている自己を否定し、それを超えようとする」行動であり、人々は自らに難行・苦行を課すことで「自然の地位の克服」を目指した (高橋, 2011)。

 今村 (1998) によれば、この時代の農村から都市への人口流入によって生じた浮浪者と乞食たちは「矯正院 (workhouse)」に収容されたが、そこでは労働が「懲罰」として用いられた。17世紀前半になると、本人の怠惰が原因で貧しい人々は「人間の屑」とされ、神の時間を無駄に浪費しているという理由から非難された。収容所に監禁された彼らには、労働を通して禁欲的倫理が「強制注入」されたのだった。こうして「労働は、昔のように修道院の苦行の手段であることをやめて、社会生活のなかでの一種の教育手段」(今村, 1998) となった。日本の現代社会においても、刑務所では労働が更生手段として用いられており、労働の以上のような側面も依然として利用されていると言える。

 

(2) プロテスタント

 一方、後に現れたプロテスタントでは考え方が異なる。まずルター(Martin Luther:1483-1546)は「神への奉仕の唯一、最高の道は、みずからの与えられた仕事を可能な限り完璧に遂行すること」(Tilgher, 1929) とした。「宗教的信仰心>世俗的活動」という図式は「根本から否定」され、「労働は宗教的尊厳に包まれて彼の手から出て行った」(Tilgher, 1929)。すなわち労働と信仰が結びつけられ、宗教的に労働の価値が認められたのである。

 もう1人の宗教改革の立役者カルヴァン(Jean Calvin:1509-1564)の考え方はルターのそれとは少し異なる。彼は予定説をとなえたが、それは、① 神は人間から無限に離れたところにいる(罪人としての人間は神に近づくことなど到底できない)、② 神はその地点からある人々を永遠の生命に、他の人々を永遠の死滅に予定した、③ 誰が永遠の生命に予定されているかは人間には分からないし、また神のその予定を人間の営為(善行)によって覆すことも不可能である、というものだった (高橋, 2011)。つまり、個人が救済されるかどうかは超越的な神によってあらかじめ定められており、「あらゆる救済手段は無効」(高橋, 2011) となったのだ。しかし、救済されることを強く求めていた人々は、自分が救済を予定されていることを確信させる根拠・証拠を必死に求めた。そして、その救済を求めるエネルギーは労働へと向かった。こうして「日常生活における徹底した禁欲と職業労働への関心」(高橋, 2011) が芽生えた。先のカトリックについての記述から分かるように、従来、世俗活動は低く評価されており、禁欲は主に世俗を離れた場(修道院)で行われていたが、このとき禁欲は世俗(日常生活)で行われるようになったのだ。以上のように宗教的活動(聖)が日常生活(俗)に優る、という序列は解体され、「世俗の生活を送ること自体が宗教的に積極的な意味をもつようになった」(高橋, 2011)。そして「営利活動に精を出し、富を獲得することが彼らの救いのしるし」(高橋, 2011) となり、職業労働に励むことが強く動機づけられた。そして宗教的関心の圧倒的優位のゆえに低い評価を与えられてきた労働は、宗教改革を経たのち、逆に宗教的な裏付けをもって高い評価を与えられるようになった。

 

(3) 日本の現代社会との関係

 もちろん労働を宗教と結びつける考え方は、日本人には馴染みの薄いものだろう。だが特に中近世の西洋では、人々の考え方への宗教(特にキリスト教)の影響力は大きく、宗教抜きに人々の考え方(労働観)の変遷を捉えることは難しい。また現在における労働は宗教的な色を失ったかのように見えるが、その背景、あるいは根底には宗教に由来する考え方が潜んでいる。

 例えば「勤勉」を称賛する価値観は、キリスト教倫理の影響を強く受けていると言える。日本において「勤勉」を体現した存在といえば二宮尊徳(金次郎)である (橘木, 2011, 鷲田, 2011)。鷲田 (2011) は二宮尊徳を「柴を背負って歩きながら、本を読むという、究極の「勤勉」ながら族、ほとんどビョーキともいうべき時間の吝嗇家」と評している。そういった「休みのときですらそれを有効に使わなければ、という強迫観念」を、鷲田は「真空恐怖」と名付ける (鷲田, 2011)。常に何かをしていなければ落ち着かないので、「憑かれたように」(鷲田, 2011) 残業や休日出勤を行う、「仕事中毒 (workaholic)」ともいうべき人々が散見される。

 また今村 (1998) は以下のように指摘する。太古の人々は1日3時間しか労働していなかったと推測されるが、これを怠惰だと思うことは「西欧近代の勤勉主義に毒された偏見にすぎない」。そして「労働は本質的に隷属的」であるとし、「労働は人間の本質である」や「労働のなかには本来的な喜びが内在されている」といった考え方に疑問を投げかけている。確かに労働は人間が生きていくために必要な活動だが、しかしだからといってそれが人間になくてはならない本質的な活動であるとは言えない。最小限の労力で生活に必要な資源を手に入れる、という「スマート」な働き方もありだ。そして労働以外の生活に喜びを見出し、余暇を満喫するという生き方もある。もちろん仕事にも喜びや充実感を感じられる人はいるだろう。だがそうでない(例:不満、苦痛)からといって、必要以上に悩まず、「これは仕事だから仕方がない」と割り切って働くという道もあるだろう。

 

参考文献

今村仁司 (1998)『近代の労働観』岩波書店.

橘木俊詔 (2011)『いま、働くということ』ミネルヴァ書房.

・高橋由典 (2011)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義(M・ウェーバー)」, 作田啓一,井上俊 編 (2011)『命題コレクション社会学』(pp349-359). 筑摩書房.

・Tilgher, A. (1929). Homo faber. Roma: Libreria di Scienze e Lettere. 邦訳, アドリアーノ・ティゲル (2009)『ホモ・ファーベル』小原耕一, 村上桂子 訳, 社会評論社.

鷲田清一 (2011)『だれのための仕事』講談社.

仕事観の変遷①(古代ギリシャ)―労働を取り除く or 積極的に評価する

1. はじめに(問題意識)

 様々な時代に様々な人々が「働く」、「労働」、「仕事」に関して思索を巡らせてきた。それらについての解釈が労働観・仕事観と呼ばれるものである。現代は過去のどの時代よりも働き方の選択肢が多い時代となっている。どの産業で、どういった職務に従事するのか、組織で働くのか、それとも独立して働くのか、どの程度の時間を働くことに費やすのか、日々の生活の中に働くことをどう位置づけるのか、等々、我々の目の前には様々な選択肢が広がっている。だが、何の指針もなしにこの選択肢の大海を漕ぎ渡っていくのは容易ではない。そこで先人たちが提示してきた様々な考え方を参照点とし、そこに自分なりの工夫を加えていくことが有効である。「どんなテーマについても、たいていそれを論じている人がいる。そうした先駆者の考えを参考にできれば効率がいい」(國分, 2011) のである。料理にも美味しく作るためのレシピがある。それをあらかじめ知ったうえで自分なりのアレンジを加えていくことで、型無しではなく、型破りでユニークな解に到達できるだろう。以上の問題意識に基づき、古代から現代に至るまでの仕事観の変遷を概観していきたい。

 

2. 古代ギリシャ時代

(1) アリストテレス―「労働することは必要によって奴隷化されること」

 まず今回は2000年ほど歴史を遡ってみたい。ギリシャ語で労働を指す単語は ”ponos” であり、これはずっしり重い労働を意味する。Tilgher (1929) の指摘のように「ギリシャ人は労働を本質的に労苦および苦痛と感じていた」。「大部分の種族は大地と、そこに栽培された収穫物で生計を立て」ていた (Aristoteles)。すなわち当時の主な労働は農作業(牧畜を含む)であり、まだ道具(例:鋤、鍬)、技術(例:ハウス栽培)や自然についての知識(例:気象予報)が十分でなかったため、その労働は肉体的な苦痛を伴い、自然環境に大きく左右される大変なものであったと推測される。

 よく知られているように当時の労働は主に奴隷によって担われていた。「古代において労働と仕事が軽蔑されたのは奴隷だけがそれにたずさわっていたためであるという意見」(Arendt, 1958) がある。しかしそれは「近代歴史家の偏見である」(Arendt, 1958) とユダヤ人哲学者のハンナ・アレント (Hannah Arendt:1906-1975) は指摘する。彼女の見立てでは、「生命を維持するための必要物に奉仕するすべての職業が奴隷的性格をもつ」ので、「労働することは必然 [必要] によって奴隷化されること」 (Arendt, 1958) だと考えられていた。つまり、「腹が減るから田畑を耕し食べ物を得る」という活動は、肉体的な欲求(必要)に支配された不自由なものであるとされたのだ。そして労働や仕事は「人間の必要や欲望と関係のない自由なものではありえなかった」(Arendt, 1958) ので、低く評価されていた。

 肉体の必要(空腹)に従い、苦痛を伴う肉体労働(農作業)を強いられる、という不自由な存在は、当時の哲学者には受け入れられなかったのだろう。その代表であるアリストテレスは、人間でありながら行為に関わる「道具」となり、自分以外のものに支配されている人間を「自然による奴隷」と呼び、その意味で奴隷制を肯定した。彼は自由独立に価値を置き、そのための「自足」、すなわち「すべてがそなわり、何ひとつ不足していない」状態を善しとした (Aristoteles)。アレントも「古代の奴隷制は……実に人間生活の条件から労働を取り除こうとする試みであった」(Arendt, 1958) と述べるように、肉体の必要から自由になろうという欲求が、専ら労働に従事する奴隷を生み出したと考えられる。

 

  • 家事労働と代行サービス―必要に迫られた労働からの解放

 アリストテレスは「奴隷は主人の一種の部分」であると述べているが、これはすなわち、主人の労働を外部化 (outsourcing) したものが奴隷であるということだ。彼は必要に迫られた、あるいは支配された労働を善しとしない。この必要に迫られた労働の1つの代表例として、ここでは家事(労働)を取り上げたい。家事は「はてしない反復のいとなみ」(鷲田, 2011) であるという特徴を持つ。一方で料理、洗濯、掃除といった労働は日々の生活に必要不可欠である。近年、外食、衣服のクリーニング、ハウスクリーニングといった、家事のアウトソーシングサービス(を提供する企業)が増えている。これは先に述べた「必要からの自由志向」と類似している。

 だがこの変化の方向性はいくつかの批判を受けている。鷲田は調理の代行は「危うい」と指摘するが、その理由は、調理は「人間がじぶんが生き物であることを思い知らされる数少ない機会」であり、「わたしたちがいかに自然と折り合いをつけつつ生きていくかが問われる現場」(鷲田, 2011) であるからだ。またアレントも「生命を通じて人間は他のすべての生きた有機体と依然として結びついている」が、今やその「最後の絆を断ち切るために大いに努力している」(Arendt, 1958) と警鐘を鳴らす。人間も生き物の一種であり、ゆえに肉体の必要に支配されているが、一方でその事実は人間という存在の1つの特徴、あるいは「条件」(Arendt, 1958) でもある。この条件(制約)から解放されたとき、「人間らしさ」を保つことができるのか、慎重に考える必要がある。

 

 では古代ギリシャの哲学者たちが理想とした生活とは、どのようなものだったのか。それは「外界という絶え間なく荒れ狂う嵐の海洋からのがれ、独自の魂の奥底に引きこもり、変化を回避して不変の自分 (identity) 探しに没頭すること」(Tilgher, 1929) である。アレントの言葉を借りれば、「一切の外部的なことがらから解放」され、「永遠なる事物の探究と観照に捧げられる哲学者の生活」、すなわち「観照的生活」のみが「唯一の真に自由な生活様式として残った」(Arendt, 1958)。「財産や身体にかかわる善が望ましいものであるのは、もともと精神のために役立つかぎりにおいて」(Aristoteles) であり、労働は手段としての有用性しか認められていなかった。そしてアレントの主張によれば、「伝統的ヒエラルキーにおける観照の圧倒的な重みのために、<活動的生活>それ自体の内部の区別と明確な分節が曖昧となった」(Arendt, 1958)。彼女の言う<活動的生活>は労働 (labor)、仕事 (work)、活動 (action) から成るが、ギリシャの哲学者がその区別に焦点を当てることはなく、相対的に低く評価された労働や仕事に関心が向けられることはほとんどなかった。

 労働から解放された人間は猫のような日々を過ごすようになるのではないか、といった趣旨のことを以前何かの本で目にした。彼らはいつも陽だまりでまったりしているように見えるし、また何か思索に耽っているようにも見える。もちろん鼠と必死の格闘を繰り広げているシーンもあるのだろう。だが私たちが普段目にする猫たちは悠々自適に振る舞い、毎日何かに追われるように動き回る人からすれば羨ましいものだ。だが一方で時間的余裕(暇)を満喫するにも徳、あるいは技術が必要となる。これはアリストテレスも指摘するところであり、彼は「忙事のためには勇気と忍耐が必要であるが、閑事のためには愛知 [哲学] が必要である」(Aristoteles) と述べている。暇=退屈とならないように、『暇と退屈の倫理学』を暇にまかせて読み、「閑事」のうまい過ごし方について思索に耽るのも一計である。

 

(2) ヘシオドス―労働の「しんどさ」=「やりがい」

 古代ギリシャにも労働を肯定的に論じていた人はいた。それがヘシオドスである。彼は「ギリシア人としてはまったく異例」(Arendt, 1958) である。では彼は具体的にどんな考え方を持っていたのだろうか。まず『仕事と日』から、いくつかの文章を紹介したい。

 

・「人間は労働によって家畜もふえ、裕福にもなる、また働くことでいっそう神々に愛されもする」

・「労働は決して恥ではない、働かぬことこそ恥なのだ」

・「働くに如くはない、つまりはお前の浅はかな心を、他人の財産狙いから仕事に向けかえ、わしの教えるように、生計を立てることに専念するということじゃ」

 

 いかがだろうか。ヘシオドスは「『飢え』は怠惰な人間に、常に必ずつきまとう恰好の伴侶なのだ」と述べる。飢え、あるいは貧しいことは「悪しきこと」だと彼は考えるが、「悪しきことはいくらでも、しかもたやすく手に入る、それに通ずる道は平らかであり、しかもすぐ身近に住む」のである (Hesiod)。つまり怠けていることは楽だが、それを続ければ飢えという悲惨な状況にたちまちにして陥ってしまう。当時の労働とは牧畜を含む農業(農事)であり、怠惰であるとは季節に応じた仕事(例:種まき、収穫)に精を出さないということを指す。逆に「時を違えず」労働(農作業)に勤しめば、「屋敷の内に命の糧を豊かに貯え」、「飢えを防ぐ」ことができるのだ (Hesiod)。この場合の労働は「生計を立てる」(Hesiod) ことを主眼としており、飽食や浪費といったものとは一線を画す。お腹がいっぱいになればそれで満足なのだ。そして家に豊かに貯えられた穀物、すなわち富には「栄位と名誉とが伴う」(Hesiod)。

 ここで問題となるのは農作業が「きつい」ということだ。自然という人間にはコントロールできない力に左右され、連日の力仕事は体に応える。この点について、ヘシオドスは「神々が人間の命の糧を隠しておられる」と述べ、これは人間の原罪に対する神の試練だと解釈する。「不死の神々は、優れて善きことの前に汗をお据えなされた、それに達する道は遠くかつ急な坂で、始めはことに凸凹がはなはだしいが、頂上に到れば、後は歩きやすくなる」(Hesiod)。つまり神は人間を試しているのだ。ヘシオドスが「神々が人間に季節に応じてお示しになった仕事」、あるいは「いかなる仕事についても万事時を違えぬように心掛けねばならぬ」と述べることから分かるように、彼のいう神は自然(「季節」「時」)と対応している。すなわち自然の猛威に屈せず、汗水たらして労働することが、神の試練に応えることであり、ゆえに働くことでいっそう神に愛されるのである。アリストテレスなどの古代ギリシャの哲学者は労働を日々の生活から取り除こうとした。しかしヘシオドスは労働のしんどさ(「汗」、「坂」、「凸凹」)を「やりがい」と解釈し、それをやり遂げたときの喜びや豊かさを高く評価したのだった。

 

参考文献

・Arendt, H. (1958). The human condition. University of Chicago Press. 邦訳, ハンナ・アレント (1994)『人間の条件』志水速雄 訳, 筑摩書房.

Aristoteles 底本:Ross, W. D. (1957). Aristotelis politica. 邦訳, アリストテレス (2009)『政治学』北嶋美雪, 松居正俊, 尼ヶ崎徳一, 田中美知太郎, 津村寛二 訳, 中央公論新社. 邦訳, アリストテレス (2001)『政治学』牛田徳子 訳, 京都大学学術出版会.

・Hesiod 底本:West, M. L. (1978). Hesiod, works and days. Oxford. 邦訳, ヘーシオドス (1986)『仕事と日』松平千秋 訳, 岩波書店.

國分功一郎 (2011)『暇と退屈の倫理学朝日出版社.

・Tilgher, A. (1929). Homo faber. Roma: Libreria di Scienze e Lettere. 邦訳, アドリアーノ・ティゲル (2009)『ホモ・ファーベル』小原耕一, 村上桂子 訳, 社会評論社.

鷲田清一 (2011)『だれのための仕事』講談社.

HR Tech ―概要と国内サービス比較―

はじめに

最近、メディア等(例えば人工知能で職場が変わる?)で、人工知能などのIT関連技術を活用して、人事を変えていくという試みが取り上げられている。

人事分野の研究者を目指す者としては、非常に興味のあるトピックであり、概要と国内サービスについて調べ、若干のコメントを付与した。

 

概要

  • クラウドビッグデータ解析、人工知能(AI)など最先端のIT関連技術を使って、採用・育成・評価・配置などの人事関連業務を行う手法のこと」で、IT関連技術としては、ビッグデータ解析、AI (deep leaning)、IoT(ウェアラブルバイス)、VR/AR/MRなどがある。ウェアラブルバイスは従業員の行動データの収集に用いられる。例えば、「JINS MEME」というメガネ型デバイスは、センサーと通信機能を備え、「目の動き」「まばたき」「姿勢」などのライフログ(生活・行動・体験のデータ)をもとに、集中を測定し可視化する。またVR等は教育・訓練への活用が期待される。

(https://jinjibu.jp/keyword/detl/806/)

(https://jinjibu.jp/hrt/article/detl/techtrend/1549/)

  • 「HRテックが目指すのは、ITを使った高度な人材戦略の実現だ。人事担当者の経験やノウハウに頼るのではなく、データに基づいて人材を生かす」

(http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/16/082400179/082500005/?rt=nocnt)

 

 

国内のHR Tech関連サービス

  • Wantedly:social recruiting

(https://www.wantedly.com/)

「WantedlyのOpen API提供開始も、「なぜその仕事をやるのか」、「どんな価値観を持った人達と働くのか」といった価値観によるマッチングという中高層寄りのコンセプトをHR Techを通じて普及させていくだろう」(下線筆者)// Maslow 5段階欲求 中高層=所属欲求・承認欲求

(http://jp.techcrunch.com/2015/12/29/hr-technology-conference-report/)

 

  • <コメント> 組織の価値観(=組織文化)と個人の価値観がフィットしているほど、組織コミットメントや職務満足が高く、退出願望(=会社を辞めようと思う気持ち)が低くなることが実証されている (O’Reilly et al., 1991)。組織と個人の価値観をフィットさせる方法は大きく分けて2つあり、1つ目は価値観が似通った人を雇うこと、2つ目は組織内社会化と呼ばれる、会社のカラーを浸透させるプロセス(例:経営理念を共有する合宿、毎朝社訓を唱和する儀式)を行うことである。現在HR Techに期待されているのは、1つ目の採用におけるマッチングであろう。
  • <コメント> 先の論文ではOCP (organization culture profile) という組織文化の測定尺度が提示され、研究では広く用いられているが、評価項目が固定的である。機械学習などを活用することでダイナミックに改良を重ね、予測精度を向上させていくことが可能かもしれない。

 

  • ネオキャリア「jinjer」

(https://hcm-jinjer.com/)

・採用管理…データを一括管理

・勤怠管理…「AIによるエンゲージメントアラート機能」:「従業員の勤怠管理データから個別の傾向値を導き出し、エンゲージメントをAIが分析。モチベーションが下降傾向にある従業員をいち早く察知、人事担当者へアラートを出します。この「エンゲージメントアラート機能」により、退職などを未然に防ぐ対策を打つことで離職率の低下へと繋げ、人事戦略・組織力強化を実現させます」

労務管理…手続きの簡略化・電子化

・人事管理…株式会社FiNC ストレスチェック(110~350の質問項目)← 労働安全衛生法の一部改正で、ストレスチェックと面接指導の実施等が義務化

(https://hcm-jinjer.com/)

 

  • 要するに、データの一括管理と、「エンゲージメントdown ⇒ 離職願望 (intention to quit) up」という仮説に基づき、エンゲージメントのコントロールを通した離職率の低下を目指すことがポイント。
  • <コメント> しかし「従業員の勤怠管理データから個別の傾向値を導き出し、エンゲージメントをAIが分析」について、そんなに簡単にエンゲージメントを数値化できるのか。そもそも「エンゲージメント」という指標をわざわざ用いなくても、離職の有無を従属変数とした回帰分析によって、離職の原因となる変数(例:欠勤日数)とその基準値(例:月に5日)を特定できれば、アラートは可能では。

 

  • ビズリーチ「戦略人事クラウドHRMOS(ハーモス)」

(https://www.hrmos.co/)

・戦略人事とは「経営者のパートナーとして、企業戦略との整合性を取りながら人と組織の両側面から企業の成長をドライブする新しい形の人事。人材活用のリーディングカンパニーは、人事業務の中で生み出される膨大なデータを活用することで属人性を排除。より良い採用や組織運営のあり方を追求することで、事業成長を実現するチームを創りあげている」

・「自社で活躍している社員の傾向を、DBが保有するデータを基に割り出す」

・「人事業務のあらゆる情報を一元管理」し「ビッグデータとして蓄積・分析・活用する」

(下線筆者)

 

  • 要するに、社内の人事データを一元管理し、(ビッグ)データにもとづく人材マネジメント (human resource management;HRM) を行う。

 

  • オラクル「Oracle HCM Cloud」

(http://www.oracle.com/jp/applications/human-capital-management/overview/index.html)

・「活躍しそうな社員や離職しそうな社員を見つけられる」

・「過去のデータを基に未来の退職率やパフォーマンスを予測する機能」

・「採用面接など入社前の情報と、入社後の職務履歴や評価などの情報をまとめて見られるようにしている企業は限られている」

 

  • 要するに、人事データを一元管理し、個々の従業員のパフォーマンス(活躍・生産性)や離職を過去のデータから予測する。特にエンゲージメントという指標に着目。

 

  • workday「Human Capital Management Suite」+ Accentureによる導入支援

(https://www.workday.com/ja-jp/applications/human-capital-management.html?wdid=jajp_ws_hm_wdhmprodarea_hcm_wd_web_17.0087)

 

  • IBM「Kenexa」

(http://www-01.ibm.com/software/jp/info/kenexa/)

・「IBM Kenexa Employee Voice」…従来も「エンゲージメント(あるいはモラル)・サーベイ」が行われていたが、調査・分析・対策立案のサイクルが1~3年と遅い。そこで「より社員にも負担の軽いコンパクトな調査」にすることで、「頻度」を上げて変化にスピーディーに対応する。

(http://www.hrpro.co.jp/download_detail.php?ccd=00612&pno=4)

・「IBM Kenexa Survey Enterprise」…「IBMでは200名以上の産業心理学の学者が個々のお客様の組織構造や目標、企業文化に合わせて調査票を設計するとともに、グローバルで蓄積してきた膨大なベンチマークをもとに結果を分析し、取り組むべき行動計画の提案を行います」(下線筆者)「2009年から2013年までに1億4,000万人の意識調査を実施し、その結果をすべてベンチマークとして取り込んでいます」

 

  • <コメント> 導入事例のJ社(製造業)では、従業員エンゲージメント指数が4年間で56%から72%へ向上したことが紹介されている。しかしエンゲージメント向上による組織成果(例:生産性、離職率)への具体的な効果は示されておらず、時系列分析等、さらに追跡して因果関係を明らかにする必要がある。
  • <コメント> 研究者にとっては企業内データの宝庫。今後、産学連携が進めば、従来手に入りにくかったデータを用いて、組織内の人間行動に関するさらなる研究の進展が期待される。

 

・「IBM Kenexa Talent Insights」…業績の高い従業員の資質や行動特性を分析し、採用時の選考基準に活用、「社員の資質やスキルと求められる要件とのマッチング」、「離職につながる要因の分析」など、「人財を分析し指標化する」ことを行う。「人間が話す自然言語での入力を理解し、対象となるデータを分析して仮説を生成し、根拠に基づいた回答を提示」

 

  • 要するに、ビッグデータ解析によって、選考・評価の基準や判断の材料が与えられる。評価者によって左右されていた評価を、データに基づいたより客観的なものにする。
  • <コメント> あくまで参考程度であると理解した上で使う必要がある。分析結果に頼りすぎると、評価者が思考停止に陥り、評価のノウハウを蓄積しようという学習意欲を失う。これが問題になるのは、環境変化が激しい場合に過去のデータに基づく未来予測の精度が下がってしまうからである。

 

まとめ

  • 今のところ国内のHR Tech関連サービスの目的は、データに基づく人材マネジメント。
  • 人事データを一元管理し、離職・生産性をビッグデータ解析によって予測 and 相関する特性(資質、行動等)を明らかにする。
  • 特に「エンゲージメント」という指標に注目している企業が多い。
  • 採用における個人と企業のマッチングに使えそう。