OWLの思考

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仕事観の変遷①(古代ギリシャ)―労働を取り除く or 積極的に評価する

1. はじめに(問題意識)

 様々な時代に様々な人々が「働く」、「労働」、「仕事」に関して思索を巡らせてきた。それらについての解釈が労働観・仕事観と呼ばれるものである。現代は過去のどの時代よりも働き方の選択肢が多い時代となっている。どの産業で、どういった職務に従事するのか、組織で働くのか、それとも独立して働くのか、どの程度の時間を働くことに費やすのか、日々の生活の中に働くことをどう位置づけるのか、等々、我々の目の前には様々な選択肢が広がっている。だが、何の指針もなしにこの選択肢の大海を漕ぎ渡っていくのは容易ではない。そこで先人たちが提示してきた様々な考え方を参照点とし、そこに自分なりの工夫を加えていくことが有効である。「どんなテーマについても、たいていそれを論じている人がいる。そうした先駆者の考えを参考にできれば効率がいい」(國分, 2011) のである。料理にも美味しく作るためのレシピがある。それをあらかじめ知ったうえで自分なりのアレンジを加えていくことで、型無しではなく、型破りでユニークな解に到達できるだろう。以上の問題意識に基づき、古代から現代に至るまでの仕事観の変遷を概観していきたい。

 

2. 古代ギリシャ時代

(1) アリストテレス―「労働することは必要によって奴隷化されること」

 まず今回は2000年ほど歴史を遡ってみたい。ギリシャ語で労働を指す単語は ”ponos” であり、これはずっしり重い労働を意味する。Tilgher (1929) の指摘のように「ギリシャ人は労働を本質的に労苦および苦痛と感じていた」。「大部分の種族は大地と、そこに栽培された収穫物で生計を立て」ていた (Aristoteles)。すなわち当時の主な労働は農作業(牧畜を含む)であり、まだ道具(例:鋤、鍬)、技術(例:ハウス栽培)や自然についての知識(例:気象予報)が十分でなかったため、その労働は肉体的な苦痛を伴い、自然環境に大きく左右される大変なものであったと推測される。

 よく知られているように当時の労働は主に奴隷によって担われていた。「古代において労働と仕事が軽蔑されたのは奴隷だけがそれにたずさわっていたためであるという意見」(Arendt, 1958) がある。しかしそれは「近代歴史家の偏見である」(Arendt, 1958) とユダヤ人哲学者のハンナ・アレント (Hannah Arendt:1906-1975) は指摘する。彼女の見立てでは、「生命を維持するための必要物に奉仕するすべての職業が奴隷的性格をもつ」ので、「労働することは必然 [必要] によって奴隷化されること」 (Arendt, 1958) だと考えられていた。つまり、「腹が減るから田畑を耕し食べ物を得る」という活動は、肉体的な欲求(必要)に支配された不自由なものであるとされたのだ。そして労働や仕事は「人間の必要や欲望と関係のない自由なものではありえなかった」(Arendt, 1958) ので、低く評価されていた。

 肉体の必要(空腹)に従い、苦痛を伴う肉体労働(農作業)を強いられる、という不自由な存在は、当時の哲学者には受け入れられなかったのだろう。その代表であるアリストテレスは、人間でありながら行為に関わる「道具」となり、自分以外のものに支配されている人間を「自然による奴隷」と呼び、その意味で奴隷制を肯定した。彼は自由独立に価値を置き、そのための「自足」、すなわち「すべてがそなわり、何ひとつ不足していない」状態を善しとした (Aristoteles)。アレントも「古代の奴隷制は……実に人間生活の条件から労働を取り除こうとする試みであった」(Arendt, 1958) と述べるように、肉体の必要から自由になろうという欲求が、専ら労働に従事する奴隷を生み出したと考えられる。

 

  • 家事労働と代行サービス―必要に迫られた労働からの解放

 アリストテレスは「奴隷は主人の一種の部分」であると述べているが、これはすなわち、主人の労働を外部化 (outsourcing) したものが奴隷であるということだ。彼は必要に迫られた、あるいは支配された労働を善しとしない。この必要に迫られた労働の1つの代表例として、ここでは家事(労働)を取り上げたい。家事は「はてしない反復のいとなみ」(鷲田, 2011) であるという特徴を持つ。一方で料理、洗濯、掃除といった労働は日々の生活に必要不可欠である。近年、外食、衣服のクリーニング、ハウスクリーニングといった、家事のアウトソーシングサービス(を提供する企業)が増えている。これは先に述べた「必要からの自由志向」と類似している。

 だがこの変化の方向性はいくつかの批判を受けている。鷲田は調理の代行は「危うい」と指摘するが、その理由は、調理は「人間がじぶんが生き物であることを思い知らされる数少ない機会」であり、「わたしたちがいかに自然と折り合いをつけつつ生きていくかが問われる現場」(鷲田, 2011) であるからだ。またアレントも「生命を通じて人間は他のすべての生きた有機体と依然として結びついている」が、今やその「最後の絆を断ち切るために大いに努力している」(Arendt, 1958) と警鐘を鳴らす。人間も生き物の一種であり、ゆえに肉体の必要に支配されているが、一方でその事実は人間という存在の1つの特徴、あるいは「条件」(Arendt, 1958) でもある。この条件(制約)から解放されたとき、「人間らしさ」を保つことができるのか、慎重に考える必要がある。

 

 では古代ギリシャの哲学者たちが理想とした生活とは、どのようなものだったのか。それは「外界という絶え間なく荒れ狂う嵐の海洋からのがれ、独自の魂の奥底に引きこもり、変化を回避して不変の自分 (identity) 探しに没頭すること」(Tilgher, 1929) である。アレントの言葉を借りれば、「一切の外部的なことがらから解放」され、「永遠なる事物の探究と観照に捧げられる哲学者の生活」、すなわち「観照的生活」のみが「唯一の真に自由な生活様式として残った」(Arendt, 1958)。「財産や身体にかかわる善が望ましいものであるのは、もともと精神のために役立つかぎりにおいて」(Aristoteles) であり、労働は手段としての有用性しか認められていなかった。そしてアレントの主張によれば、「伝統的ヒエラルキーにおける観照の圧倒的な重みのために、<活動的生活>それ自体の内部の区別と明確な分節が曖昧となった」(Arendt, 1958)。彼女の言う<活動的生活>は労働 (labor)、仕事 (work)、活動 (action) から成るが、ギリシャの哲学者がその区別に焦点を当てることはなく、相対的に低く評価された労働や仕事に関心が向けられることはほとんどなかった。

 労働から解放された人間は猫のような日々を過ごすようになるのではないか、といった趣旨のことを以前何かの本で目にした。彼らはいつも陽だまりでまったりしているように見えるし、また何か思索に耽っているようにも見える。もちろん鼠と必死の格闘を繰り広げているシーンもあるのだろう。だが私たちが普段目にする猫たちは悠々自適に振る舞い、毎日何かに追われるように動き回る人からすれば羨ましいものだ。だが一方で時間的余裕(暇)を満喫するにも徳、あるいは技術が必要となる。これはアリストテレスも指摘するところであり、彼は「忙事のためには勇気と忍耐が必要であるが、閑事のためには愛知 [哲学] が必要である」(Aristoteles) と述べている。暇=退屈とならないように、『暇と退屈の倫理学』を暇にまかせて読み、「閑事」のうまい過ごし方について思索に耽るのも一計である。

 

(2) ヘシオドス―労働の「しんどさ」=「やりがい」

 古代ギリシャにも労働を肯定的に論じていた人はいた。それがヘシオドスである。彼は「ギリシア人としてはまったく異例」(Arendt, 1958) である。では彼は具体的にどんな考え方を持っていたのだろうか。まず『仕事と日』から、いくつかの文章を紹介したい。

 

・「人間は労働によって家畜もふえ、裕福にもなる、また働くことでいっそう神々に愛されもする」

・「労働は決して恥ではない、働かぬことこそ恥なのだ」

・「働くに如くはない、つまりはお前の浅はかな心を、他人の財産狙いから仕事に向けかえ、わしの教えるように、生計を立てることに専念するということじゃ」

 

 いかがだろうか。ヘシオドスは「『飢え』は怠惰な人間に、常に必ずつきまとう恰好の伴侶なのだ」と述べる。飢え、あるいは貧しいことは「悪しきこと」だと彼は考えるが、「悪しきことはいくらでも、しかもたやすく手に入る、それに通ずる道は平らかであり、しかもすぐ身近に住む」のである (Hesiod)。つまり怠けていることは楽だが、それを続ければ飢えという悲惨な状況にたちまちにして陥ってしまう。当時の労働とは牧畜を含む農業(農事)であり、怠惰であるとは季節に応じた仕事(例:種まき、収穫)に精を出さないということを指す。逆に「時を違えず」労働(農作業)に勤しめば、「屋敷の内に命の糧を豊かに貯え」、「飢えを防ぐ」ことができるのだ (Hesiod)。この場合の労働は「生計を立てる」(Hesiod) ことを主眼としており、飽食や浪費といったものとは一線を画す。お腹がいっぱいになればそれで満足なのだ。そして家に豊かに貯えられた穀物、すなわち富には「栄位と名誉とが伴う」(Hesiod)。

 ここで問題となるのは農作業が「きつい」ということだ。自然という人間にはコントロールできない力に左右され、連日の力仕事は体に応える。この点について、ヘシオドスは「神々が人間の命の糧を隠しておられる」と述べ、これは人間の原罪に対する神の試練だと解釈する。「不死の神々は、優れて善きことの前に汗をお据えなされた、それに達する道は遠くかつ急な坂で、始めはことに凸凹がはなはだしいが、頂上に到れば、後は歩きやすくなる」(Hesiod)。つまり神は人間を試しているのだ。ヘシオドスが「神々が人間に季節に応じてお示しになった仕事」、あるいは「いかなる仕事についても万事時を違えぬように心掛けねばならぬ」と述べることから分かるように、彼のいう神は自然(「季節」「時」)と対応している。すなわち自然の猛威に屈せず、汗水たらして労働することが、神の試練に応えることであり、ゆえに働くことでいっそう神に愛されるのである。アリストテレスなどの古代ギリシャの哲学者は労働を日々の生活から取り除こうとした。しかしヘシオドスは労働のしんどさ(「汗」、「坂」、「凸凹」)を「やりがい」と解釈し、それをやり遂げたときの喜びや豊かさを高く評価したのだった。

 

参考文献

・Arendt, H. (1958). The human condition. University of Chicago Press. 邦訳, ハンナ・アレント (1994)『人間の条件』志水速雄 訳, 筑摩書房.

Aristoteles 底本:Ross, W. D. (1957). Aristotelis politica. 邦訳, アリストテレス (2009)『政治学』北嶋美雪, 松居正俊, 尼ヶ崎徳一, 田中美知太郎, 津村寛二 訳, 中央公論新社. 邦訳, アリストテレス (2001)『政治学』牛田徳子 訳, 京都大学学術出版会.

・Hesiod 底本:West, M. L. (1978). Hesiod, works and days. Oxford. 邦訳, ヘーシオドス (1986)『仕事と日』松平千秋 訳, 岩波書店.

國分功一郎 (2011)『暇と退屈の倫理学朝日出版社.

・Tilgher, A. (1929). Homo faber. Roma: Libreria di Scienze e Lettere. 邦訳, アドリアーノ・ティゲル (2009)『ホモ・ファーベル』小原耕一, 村上桂子 訳, 社会評論社.

鷲田清一 (2011)『だれのための仕事』講談社.

HR Tech ―概要と国内サービス比較―

はじめに

最近、メディア等(例えば人工知能で職場が変わる?)で、人工知能などのIT関連技術を活用して、人事を変えていくという試みが取り上げられている。

人事分野の研究者を目指す者としては、非常に興味のあるトピックであり、概要と国内サービスについて調べ、若干のコメントを付与した。

 

概要

  • クラウドビッグデータ解析、人工知能(AI)など最先端のIT関連技術を使って、採用・育成・評価・配置などの人事関連業務を行う手法のこと」で、IT関連技術としては、ビッグデータ解析、AI (deep leaning)、IoT(ウェアラブルバイス)、VR/AR/MRなどがある。ウェアラブルバイスは従業員の行動データの収集に用いられる。例えば、「JINS MEME」というメガネ型デバイスは、センサーと通信機能を備え、「目の動き」「まばたき」「姿勢」などのライフログ(生活・行動・体験のデータ)をもとに、集中を測定し可視化する。またVR等は教育・訓練への活用が期待される。

(https://jinjibu.jp/keyword/detl/806/)

(https://jinjibu.jp/hrt/article/detl/techtrend/1549/)

  • 「HRテックが目指すのは、ITを使った高度な人材戦略の実現だ。人事担当者の経験やノウハウに頼るのではなく、データに基づいて人材を生かす」

(http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/16/082400179/082500005/?rt=nocnt)

 

 

国内のHR Tech関連サービス

  • Wantedly:social recruiting

(https://www.wantedly.com/)

「WantedlyのOpen API提供開始も、「なぜその仕事をやるのか」、「どんな価値観を持った人達と働くのか」といった価値観によるマッチングという中高層寄りのコンセプトをHR Techを通じて普及させていくだろう」(下線筆者)// Maslow 5段階欲求 中高層=所属欲求・承認欲求

(http://jp.techcrunch.com/2015/12/29/hr-technology-conference-report/)

 

  • <コメント> 組織の価値観(=組織文化)と個人の価値観がフィットしているほど、組織コミットメントや職務満足が高く、退出願望(=会社を辞めようと思う気持ち)が低くなることが実証されている (O’Reilly et al., 1991)。組織と個人の価値観をフィットさせる方法は大きく分けて2つあり、1つ目は価値観が似通った人を雇うこと、2つ目は組織内社会化と呼ばれる、会社のカラーを浸透させるプロセス(例:経営理念を共有する合宿、毎朝社訓を唱和する儀式)を行うことである。現在HR Techに期待されているのは、1つ目の採用におけるマッチングであろう。
  • <コメント> 先の論文ではOCP (organization culture profile) という組織文化の測定尺度が提示され、研究では広く用いられているが、評価項目が固定的である。機械学習などを活用することでダイナミックに改良を重ね、予測精度を向上させていくことが可能かもしれない。

 

  • ネオキャリア「jinjer」

(https://hcm-jinjer.com/)

・採用管理…データを一括管理

・勤怠管理…「AIによるエンゲージメントアラート機能」:「従業員の勤怠管理データから個別の傾向値を導き出し、エンゲージメントをAIが分析。モチベーションが下降傾向にある従業員をいち早く察知、人事担当者へアラートを出します。この「エンゲージメントアラート機能」により、退職などを未然に防ぐ対策を打つことで離職率の低下へと繋げ、人事戦略・組織力強化を実現させます」

労務管理…手続きの簡略化・電子化

・人事管理…株式会社FiNC ストレスチェック(110~350の質問項目)← 労働安全衛生法の一部改正で、ストレスチェックと面接指導の実施等が義務化

(https://hcm-jinjer.com/)

 

  • 要するに、データの一括管理と、「エンゲージメントdown ⇒ 離職願望 (intention to quit) up」という仮説に基づき、エンゲージメントのコントロールを通した離職率の低下を目指すことがポイント。
  • <コメント> しかし「従業員の勤怠管理データから個別の傾向値を導き出し、エンゲージメントをAIが分析」について、そんなに簡単にエンゲージメントを数値化できるのか。そもそも「エンゲージメント」という指標をわざわざ用いなくても、離職の有無を従属変数とした回帰分析によって、離職の原因となる変数(例:欠勤日数)とその基準値(例:月に5日)を特定できれば、アラートは可能では。

 

  • ビズリーチ「戦略人事クラウドHRMOS(ハーモス)」

(https://www.hrmos.co/)

・戦略人事とは「経営者のパートナーとして、企業戦略との整合性を取りながら人と組織の両側面から企業の成長をドライブする新しい形の人事。人材活用のリーディングカンパニーは、人事業務の中で生み出される膨大なデータを活用することで属人性を排除。より良い採用や組織運営のあり方を追求することで、事業成長を実現するチームを創りあげている」

・「自社で活躍している社員の傾向を、DBが保有するデータを基に割り出す」

・「人事業務のあらゆる情報を一元管理」し「ビッグデータとして蓄積・分析・活用する」

(下線筆者)

 

  • 要するに、社内の人事データを一元管理し、(ビッグ)データにもとづく人材マネジメント (human resource management;HRM) を行う。

 

  • オラクル「Oracle HCM Cloud」

(http://www.oracle.com/jp/applications/human-capital-management/overview/index.html)

・「活躍しそうな社員や離職しそうな社員を見つけられる」

・「過去のデータを基に未来の退職率やパフォーマンスを予測する機能」

・「採用面接など入社前の情報と、入社後の職務履歴や評価などの情報をまとめて見られるようにしている企業は限られている」

 

  • 要するに、人事データを一元管理し、個々の従業員のパフォーマンス(活躍・生産性)や離職を過去のデータから予測する。特にエンゲージメントという指標に着目。

 

  • workday「Human Capital Management Suite」+ Accentureによる導入支援

(https://www.workday.com/ja-jp/applications/human-capital-management.html?wdid=jajp_ws_hm_wdhmprodarea_hcm_wd_web_17.0087)

 

  • IBM「Kenexa」

(http://www-01.ibm.com/software/jp/info/kenexa/)

・「IBM Kenexa Employee Voice」…従来も「エンゲージメント(あるいはモラル)・サーベイ」が行われていたが、調査・分析・対策立案のサイクルが1~3年と遅い。そこで「より社員にも負担の軽いコンパクトな調査」にすることで、「頻度」を上げて変化にスピーディーに対応する。

(http://www.hrpro.co.jp/download_detail.php?ccd=00612&pno=4)

・「IBM Kenexa Survey Enterprise」…「IBMでは200名以上の産業心理学の学者が個々のお客様の組織構造や目標、企業文化に合わせて調査票を設計するとともに、グローバルで蓄積してきた膨大なベンチマークをもとに結果を分析し、取り組むべき行動計画の提案を行います」(下線筆者)「2009年から2013年までに1億4,000万人の意識調査を実施し、その結果をすべてベンチマークとして取り込んでいます」

 

  • <コメント> 導入事例のJ社(製造業)では、従業員エンゲージメント指数が4年間で56%から72%へ向上したことが紹介されている。しかしエンゲージメント向上による組織成果(例:生産性、離職率)への具体的な効果は示されておらず、時系列分析等、さらに追跡して因果関係を明らかにする必要がある。
  • <コメント> 研究者にとっては企業内データの宝庫。今後、産学連携が進めば、従来手に入りにくかったデータを用いて、組織内の人間行動に関するさらなる研究の進展が期待される。

 

・「IBM Kenexa Talent Insights」…業績の高い従業員の資質や行動特性を分析し、採用時の選考基準に活用、「社員の資質やスキルと求められる要件とのマッチング」、「離職につながる要因の分析」など、「人財を分析し指標化する」ことを行う。「人間が話す自然言語での入力を理解し、対象となるデータを分析して仮説を生成し、根拠に基づいた回答を提示」

 

  • 要するに、ビッグデータ解析によって、選考・評価の基準や判断の材料が与えられる。評価者によって左右されていた評価を、データに基づいたより客観的なものにする。
  • <コメント> あくまで参考程度であると理解した上で使う必要がある。分析結果に頼りすぎると、評価者が思考停止に陥り、評価のノウハウを蓄積しようという学習意欲を失う。これが問題になるのは、環境変化が激しい場合に過去のデータに基づく未来予測の精度が下がってしまうからである。

 

まとめ

  • 今のところ国内のHR Tech関連サービスの目的は、データに基づく人材マネジメント。
  • 人事データを一元管理し、離職・生産性をビッグデータ解析によって予測 and 相関する特性(資質、行動等)を明らかにする。
  • 特に「エンゲージメント」という指標に注目している企業が多い。
  • 採用における個人と企業のマッチングに使えそう。

仕事雑感

  • はじめに

 企業で働く従業員は日々の仕事に埋没・適応しているため、今の状態に慣れてしまい思考の枠組みが固定化していると感じる。それを仕事から少し離れた視点から考え直してみたい。佐伯 (2014) は学問を職業とする人には「自分は何を対象としてどのような意思をもって学問に対しているのか」という緊張感や「自覚的な問いかけ」が必要であり、町外れから町を眺める「高等遊民」あるいは「変人」として「町衆へ何かを還元する義務」があると述べる。外部の視点から素朴に素直に仕事を見つめることで、仕事 (work) と仕事以外 (nonwork) の日々の生活との相互作用 (interaction) のリアリティに迫りたい。

 

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(上の坂は先日撮影した東京都文京区小石川付近の「吹上坂」。歩道のタイルが美しい。実は道の先に新宿のドコモタワーがうっすら見える。) 

 

  • 制約としての仕事の効用

 まず1つ新たな視点を導入したい。それは仕事という一定の時間的・空間的な制約があることで、それがスパイスとなって日々の生活に適度な緊張感やリズムが生まれ、毎日が豊かになるということだ。高橋 (2007) は人間の能力には限界があるとしたうえで、合理的な選択を行うためには選択の幅を狭めることが必要で、「選択の幅を狭めていくためには、組織に所属すること自体が重要になる」と述べている。組織の状況定義を受け入れることで、環境の多義性が削減され意思決定が容易になる。

 現代は「自由」ということを至上の価値の1つにしているところがあるので、不自由をもたらす「制約」は嫌われ者だろう。だが本当に自由になって、日々はより良くになったのだろうか。少し変な例だが、以前ネットの記事で「なぜ猫は箱に入るのか」というものがあった。そこでは「隠れるという行動は、あらゆる種にとって環境変化とストレス要因に対処するための行動戦略」であると紹介されていた。

(http://wired.jp/2015/03/08/cat-loves-box/)

 自分に引き付けて述べると、大学生の多くが感じていることかもしれないが、自由時間が多いということ、好きな研究をしてよいということは、実は結構大変である。つまり全てを自己決定しなければならない。下宿生活もそうである。実家であれば母親がいちいち口出しをして鬱陶しいと感じていたかもしれないが、いざ1人暮らしを始めると、何時に起きても、何時に学校に行っても、何を食べても、ほとんどすべてが自由である。自己決定「できる(can)」幅が広がり自由になったとも言えるが、「しなければならない(must)」という不安を抱えるようになったとも言える。これに対して、出社や退社の時間が決まっており、また仕事の中身もそれなりに決まっているという制約のある状態は気楽ではなかろうか。Ciulla (2000) も「仕事がなければ、私たちは何をするか、何になるか、無限の選択肢と向き合うことになる」が、「仕事があれば、毎日何をするべきかが明らかになる」と述べる。

 このように人間は自由から逃げたい部分がある。これは特異な例かもしれないが、私は自由な時間が多すぎると自分の内側に目が向いて、自己の存在がよく分からなくなることがある。人間の存在は本質的に不安定で不確かなのだから、いくら突き詰めて考えても「絶対安心の境地」(松下, 1973) に至ることはない。そのような自意識の鋭い視線から自己を「隠す」ものとして、制約の効用がある。「忙しい」の「忙」という字は心を亡くすと書くが、亡くすことも時には必要である。ぼーっとして星空を見ているときの何とも言えない落ち着きにも似ている。日々の生活に制約を与えるものとしての仕事の効用はありそうだ。

 もちろん無批判に仕事中毒 (workaholic) になってはいけない。それでは自分の心の声に耳を塞いで、大きなものに流されているだけである。そうではなくて、自分が仕事に求めることと最低限必要なお金の量を明確にした上で、どれだけの時間を仕事に割けるかという考え方をすべきだ。アメリカのIT企業Googleには「20%ルール」というのがあるが、それは勤務時間の20%を社員に与え、「自分の仕事や自分の会社をみずから形づくるというめったにない自由を与えている」(Laszlo, 2015)。没頭しすぎず、かといって自由すぎない丁度良いバランスは人それぞれに違っている。そうした自分なりのカスタムメイドのバランスを考えることが必要であろう。

 

 世界の人々がますます豊かになっていく結果として、自分ひとりの生命維持の必要にそれほど迫られず、「どうしても働かねばならない強迫感が希薄化」(橘木, 2011) していくことが想定される。結果的に働く意味を改めて問い、仕事について悩む人々が増えているのだろう。それに対するアドバイスとして、やりたいことや好きなことを仕事にすることを奨励するものがある。だがそれは「仕事に対する過剰なまでの意味付け」(Ciulla, 2000) ではないだろうか。「工業社会の文化が出現するに及んで、人は仕事というものを自分自身のイメージの中心に置く」(鷲田, 2011) ようになり、「充実感」や「社会的地位」の多くを仕事に求め、さらに「アイデンティティの主たる拠り所」とまでなっている (Ciulla, 2000)。「充実感や、人生の意味を感じることができるような、人間として面白いと感じる仕事」(Ciulla, 2000) を求めるのは当然だが、仕事における自己実現に過度にこだわり、そこに自分のアイデンティティを依存するのは危険である。なぜなら仕事は働く人のためだけのものではなく、財・サービスの提供相手である顧客や資金提供者である株主のためのものでもあるからだ。したがって働く個人の裁量(自己実現できる幅)は必然的に制限される。だがこの一定の不自由さは上でも述べたように必然であるし、必要ですらある。しかし仕事での自己実現を過度に追い求めれば、March & Simon (1993) が「現実と個人がもつ自我理想の乖離から不満足は生まれる」と指摘するように、理想と現実のギャップに苦しみ不満を感じるだろう。例えばフラットな組織が注目されていることから分かるように、企業内の上下関係は敬遠されがちだ。だがそれは「最低限、上司と部下といった上下関係の中で行動することを受け入れる必要があるということだけ」(高橋, 2007) で、上司への絶対服従ではない。「1人の上司が直接、有効に管理・統制できる部下の数」、つまり「管理の幅 (span of management) には限界があり、そのために、大規模な組織では階層構造をとらざるをえなくなる」(高橋, 2007) のだ。

 またGoogleの人事担当副社長であるラズロ・ボックは「自由は絶対的なものではない。チームや組織の一員であるということは、ある程度は個人の自由をあきらめ、ひとりよりチームのほうが大きな成果を達成できる可能性を受け入れるということだ」(Laszlo, 2015) と述べる。またサイボウズ社長の青野慶久も、多様性のある組織を機能させるためには、説明責任(理想を伝える責任)、質問責任(意思決定を説明する責任)、そして理想が叶わないことや批判があってもそれを「受け入れる責任」が必要だと説く (青野, 2015)。常に思い通りにいくわけではないので、ある程度の我慢が必要である。なおこの理想とは「自分がどのように働きたいのか、そこから何を得たいのか」(青野, 2015) を指す。両者の意見には「受け入れる」という言葉が共通しているが、そのように長期的な視点に立ってある程度の我慢をすることも必要である。それではどうすれば社員は「受け入れる」、あるいは我慢することができるのか、経営理念への共感、組織コミットメント (OC)、などの視点から今後考察を深めていきたい。

 

参考文献

青野慶久 (2015)『チームのことだけ、考えた。』ダイヤモンド社.

Ciulla, J. B. (2000). The working life. Crown Publishing. 邦訳, ジョアン・キウーラ (2003)『仕事の裏切り』中嶋愛 訳, 翔泳社.

Laszlo, B. (2015). Work rules. Twelve. 邦訳, ラズロ・ボック (2015)『ワーク・ルールズ!』鬼澤忍, 矢羽野薫 訳, 東洋経済新報社.

松下幸之助 (1973)『商売心得帖』PHP研究所.

March, J. G. & Simon, H. A. (1993). Organizations. (2nd ed.). Cambridge, MA: Blackwell. 邦訳, ジェームズ・G・マーチ, ハーバート・A・サイモン (2014)『オーガニゼーションズ』高橋伸夫 訳, ダイヤモンド社.

佐伯啓思 (2014)『学問の力』筑摩書房.

橘木俊詔 (2011)『いま、働くということ』ミネルヴァ書房.

高橋伸夫 (2007)『コア・テキスト 経営学入門』新世社.

鷲田清一 (2011)『だれのための仕事』講談社.