OWLの思考

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HR Tech ―概要と国内サービス比較―

はじめに

最近、メディア等(例えば人工知能で職場が変わる?)で、人工知能などのIT関連技術を活用して、人事を変えていくという試みが取り上げられている。

人事分野の研究者を目指す者としては、非常に興味のあるトピックであり、概要と国内サービスについて調べ、若干のコメントを付与した。

 

概要

  • クラウドビッグデータ解析、人工知能(AI)など最先端のIT関連技術を使って、採用・育成・評価・配置などの人事関連業務を行う手法のこと」で、IT関連技術としては、ビッグデータ解析、AI (deep leaning)、IoT(ウェアラブルバイス)、VR/AR/MRなどがある。ウェアラブルバイスは従業員の行動データの収集に用いられる。例えば、「JINS MEME」というメガネ型デバイスは、センサーと通信機能を備え、「目の動き」「まばたき」「姿勢」などのライフログ(生活・行動・体験のデータ)をもとに、集中を測定し可視化する。またVR等は教育・訓練への活用が期待される。

(https://jinjibu.jp/keyword/detl/806/)

(https://jinjibu.jp/hrt/article/detl/techtrend/1549/)

  • 「HRテックが目指すのは、ITを使った高度な人材戦略の実現だ。人事担当者の経験やノウハウに頼るのではなく、データに基づいて人材を生かす」

(http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/16/082400179/082500005/?rt=nocnt)

 

 

国内のHR Tech関連サービス

  • Wantedly:social recruiting

(https://www.wantedly.com/)

「WantedlyのOpen API提供開始も、「なぜその仕事をやるのか」、「どんな価値観を持った人達と働くのか」といった価値観によるマッチングという中高層寄りのコンセプトをHR Techを通じて普及させていくだろう」(下線筆者)// Maslow 5段階欲求 中高層=所属欲求・承認欲求

(http://jp.techcrunch.com/2015/12/29/hr-technology-conference-report/)

 

  • <コメント> 組織の価値観(=組織文化)と個人の価値観がフィットしているほど、組織コミットメントや職務満足が高く、退出願望(=会社を辞めようと思う気持ち)が低くなることが実証されている (O’Reilly et al., 1991)。組織と個人の価値観をフィットさせる方法は大きく分けて2つあり、1つ目は価値観が似通った人を雇うこと、2つ目は組織内社会化と呼ばれる、会社のカラーを浸透させるプロセス(例:経営理念を共有する合宿、毎朝社訓を唱和する儀式)を行うことである。現在HR Techに期待されているのは、1つ目の採用におけるマッチングであろう。
  • <コメント> 先の論文ではOCP (organization culture profile) という組織文化の測定尺度が提示され、研究では広く用いられているが、評価項目が固定的である。機械学習などを活用することでダイナミックに改良を重ね、予測精度を向上させていくことが可能かもしれない。

 

  • ネオキャリア「jinjer」

(https://hcm-jinjer.com/)

・採用管理…データを一括管理

・勤怠管理…「AIによるエンゲージメントアラート機能」:「従業員の勤怠管理データから個別の傾向値を導き出し、エンゲージメントをAIが分析。モチベーションが下降傾向にある従業員をいち早く察知、人事担当者へアラートを出します。この「エンゲージメントアラート機能」により、退職などを未然に防ぐ対策を打つことで離職率の低下へと繋げ、人事戦略・組織力強化を実現させます」

労務管理…手続きの簡略化・電子化

・人事管理…株式会社FiNC ストレスチェック(110~350の質問項目)← 労働安全衛生法の一部改正で、ストレスチェックと面接指導の実施等が義務化

(https://hcm-jinjer.com/)

 

  • 要するに、データの一括管理と、「エンゲージメントdown ⇒ 離職願望 (intention to quit) up」という仮説に基づき、エンゲージメントのコントロールを通した離職率の低下を目指すことがポイント。
  • <コメント> しかし「従業員の勤怠管理データから個別の傾向値を導き出し、エンゲージメントをAIが分析」について、そんなに簡単にエンゲージメントを数値化できるのか。そもそも「エンゲージメント」という指標をわざわざ用いなくても、離職の有無を従属変数とした回帰分析によって、離職の原因となる変数(例:欠勤日数)とその基準値(例:月に5日)を特定できれば、アラートは可能では。

 

  • ビズリーチ「戦略人事クラウドHRMOS(ハーモス)」

(https://www.hrmos.co/)

・戦略人事とは「経営者のパートナーとして、企業戦略との整合性を取りながら人と組織の両側面から企業の成長をドライブする新しい形の人事。人材活用のリーディングカンパニーは、人事業務の中で生み出される膨大なデータを活用することで属人性を排除。より良い採用や組織運営のあり方を追求することで、事業成長を実現するチームを創りあげている」

・「自社で活躍している社員の傾向を、DBが保有するデータを基に割り出す」

・「人事業務のあらゆる情報を一元管理」し「ビッグデータとして蓄積・分析・活用する」

(下線筆者)

 

  • 要するに、社内の人事データを一元管理し、(ビッグ)データにもとづく人材マネジメント (human resource management;HRM) を行う。

 

  • オラクル「Oracle HCM Cloud」

(http://www.oracle.com/jp/applications/human-capital-management/overview/index.html)

・「活躍しそうな社員や離職しそうな社員を見つけられる」

・「過去のデータを基に未来の退職率やパフォーマンスを予測する機能」

・「採用面接など入社前の情報と、入社後の職務履歴や評価などの情報をまとめて見られるようにしている企業は限られている」

 

  • 要するに、人事データを一元管理し、個々の従業員のパフォーマンス(活躍・生産性)や離職を過去のデータから予測する。特にエンゲージメントという指標に着目。

 

  • workday「Human Capital Management Suite」+ Accentureによる導入支援

(https://www.workday.com/ja-jp/applications/human-capital-management.html?wdid=jajp_ws_hm_wdhmprodarea_hcm_wd_web_17.0087)

 

  • IBM「Kenexa」

(http://www-01.ibm.com/software/jp/info/kenexa/)

・「IBM Kenexa Employee Voice」…従来も「エンゲージメント(あるいはモラル)・サーベイ」が行われていたが、調査・分析・対策立案のサイクルが1~3年と遅い。そこで「より社員にも負担の軽いコンパクトな調査」にすることで、「頻度」を上げて変化にスピーディーに対応する。

(http://www.hrpro.co.jp/download_detail.php?ccd=00612&pno=4)

・「IBM Kenexa Survey Enterprise」…「IBMでは200名以上の産業心理学の学者が個々のお客様の組織構造や目標、企業文化に合わせて調査票を設計するとともに、グローバルで蓄積してきた膨大なベンチマークをもとに結果を分析し、取り組むべき行動計画の提案を行います」(下線筆者)「2009年から2013年までに1億4,000万人の意識調査を実施し、その結果をすべてベンチマークとして取り込んでいます」

 

  • <コメント> 導入事例のJ社(製造業)では、従業員エンゲージメント指数が4年間で56%から72%へ向上したことが紹介されている。しかしエンゲージメント向上による組織成果(例:生産性、離職率)への具体的な効果は示されておらず、時系列分析等、さらに追跡して因果関係を明らかにする必要がある。
  • <コメント> 研究者にとっては企業内データの宝庫。今後、産学連携が進めば、従来手に入りにくかったデータを用いて、組織内の人間行動に関するさらなる研究の進展が期待される。

 

・「IBM Kenexa Talent Insights」…業績の高い従業員の資質や行動特性を分析し、採用時の選考基準に活用、「社員の資質やスキルと求められる要件とのマッチング」、「離職につながる要因の分析」など、「人財を分析し指標化する」ことを行う。「人間が話す自然言語での入力を理解し、対象となるデータを分析して仮説を生成し、根拠に基づいた回答を提示」

 

  • 要するに、ビッグデータ解析によって、選考・評価の基準や判断の材料が与えられる。評価者によって左右されていた評価を、データに基づいたより客観的なものにする。
  • <コメント> あくまで参考程度であると理解した上で使う必要がある。分析結果に頼りすぎると、評価者が思考停止に陥り、評価のノウハウを蓄積しようという学習意欲を失う。これが問題になるのは、環境変化が激しい場合に過去のデータに基づく未来予測の精度が下がってしまうからである。

 

まとめ

  • 今のところ国内のHR Tech関連サービスの目的は、データに基づく人材マネジメント。
  • 人事データを一元管理し、離職・生産性をビッグデータ解析によって予測 and 相関する特性(資質、行動等)を明らかにする。
  • 特に「エンゲージメント」という指標に注目している企業が多い。
  • 採用における個人と企業のマッチングに使えそう。

仕事雑感

  • はじめに

 企業で働く従業員は日々の仕事に埋没・適応しているため、今の状態に慣れてしまい思考の枠組みが固定化していると感じる。それを仕事から少し離れた視点から考え直してみたい。佐伯 (2014) は学問を職業とする人には「自分は何を対象としてどのような意思をもって学問に対しているのか」という緊張感や「自覚的な問いかけ」が必要であり、町外れから町を眺める「高等遊民」あるいは「変人」として「町衆へ何かを還元する義務」があると述べる。外部の視点から素朴に素直に仕事を見つめることで、仕事 (work) と仕事以外 (nonwork) の日々の生活との相互作用 (interaction) のリアリティに迫りたい。

 

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(上の坂は先日撮影した東京都文京区小石川付近の「吹上坂」。歩道のタイルが美しい。実は道の先に新宿のドコモタワーがうっすら見える。) 

 

  • 制約としての仕事の効用

 まず1つ新たな視点を導入したい。それは仕事という一定の時間的・空間的な制約があることで、それがスパイスとなって日々の生活に適度な緊張感やリズムが生まれ、毎日が豊かになるということだ。高橋 (2007) は人間の能力には限界があるとしたうえで、合理的な選択を行うためには選択の幅を狭めることが必要で、「選択の幅を狭めていくためには、組織に所属すること自体が重要になる」と述べている。組織の状況定義を受け入れることで、環境の多義性が削減され意思決定が容易になる。

 現代は「自由」ということを至上の価値の1つにしているところがあるので、不自由をもたらす「制約」は嫌われ者だろう。だが本当に自由になって、日々はより良くになったのだろうか。少し変な例だが、以前ネットの記事で「なぜ猫は箱に入るのか」というものがあった。そこでは「隠れるという行動は、あらゆる種にとって環境変化とストレス要因に対処するための行動戦略」であると紹介されていた。

(http://wired.jp/2015/03/08/cat-loves-box/)

 自分に引き付けて述べると、大学生の多くが感じていることかもしれないが、自由時間が多いということ、好きな研究をしてよいということは、実は結構大変である。つまり全てを自己決定しなければならない。下宿生活もそうである。実家であれば母親がいちいち口出しをして鬱陶しいと感じていたかもしれないが、いざ1人暮らしを始めると、何時に起きても、何時に学校に行っても、何を食べても、ほとんどすべてが自由である。自己決定「できる(can)」幅が広がり自由になったとも言えるが、「しなければならない(must)」という不安を抱えるようになったとも言える。これに対して、出社や退社の時間が決まっており、また仕事の中身もそれなりに決まっているという制約のある状態は気楽ではなかろうか。Ciulla (2000) も「仕事がなければ、私たちは何をするか、何になるか、無限の選択肢と向き合うことになる」が、「仕事があれば、毎日何をするべきかが明らかになる」と述べる。

 このように人間は自由から逃げたい部分がある。これは特異な例かもしれないが、私は自由な時間が多すぎると自分の内側に目が向いて、自己の存在がよく分からなくなることがある。人間の存在は本質的に不安定で不確かなのだから、いくら突き詰めて考えても「絶対安心の境地」(松下, 1973) に至ることはない。そのような自意識の鋭い視線から自己を「隠す」ものとして、制約の効用がある。「忙しい」の「忙」という字は心を亡くすと書くが、亡くすことも時には必要である。ぼーっとして星空を見ているときの何とも言えない落ち着きにも似ている。日々の生活に制約を与えるものとしての仕事の効用はありそうだ。

 もちろん無批判に仕事中毒 (workaholic) になってはいけない。それでは自分の心の声に耳を塞いで、大きなものに流されているだけである。そうではなくて、自分が仕事に求めることと最低限必要なお金の量を明確にした上で、どれだけの時間を仕事に割けるかという考え方をすべきだ。アメリカのIT企業Googleには「20%ルール」というのがあるが、それは勤務時間の20%を社員に与え、「自分の仕事や自分の会社をみずから形づくるというめったにない自由を与えている」(Laszlo, 2015)。没頭しすぎず、かといって自由すぎない丁度良いバランスは人それぞれに違っている。そうした自分なりのカスタムメイドのバランスを考えることが必要であろう。

 

 世界の人々がますます豊かになっていく結果として、自分ひとりの生命維持の必要にそれほど迫られず、「どうしても働かねばならない強迫感が希薄化」(橘木, 2011) していくことが想定される。結果的に働く意味を改めて問い、仕事について悩む人々が増えているのだろう。それに対するアドバイスとして、やりたいことや好きなことを仕事にすることを奨励するものがある。だがそれは「仕事に対する過剰なまでの意味付け」(Ciulla, 2000) ではないだろうか。「工業社会の文化が出現するに及んで、人は仕事というものを自分自身のイメージの中心に置く」(鷲田, 2011) ようになり、「充実感」や「社会的地位」の多くを仕事に求め、さらに「アイデンティティの主たる拠り所」とまでなっている (Ciulla, 2000)。「充実感や、人生の意味を感じることができるような、人間として面白いと感じる仕事」(Ciulla, 2000) を求めるのは当然だが、仕事における自己実現に過度にこだわり、そこに自分のアイデンティティを依存するのは危険である。なぜなら仕事は働く人のためだけのものではなく、財・サービスの提供相手である顧客や資金提供者である株主のためのものでもあるからだ。したがって働く個人の裁量(自己実現できる幅)は必然的に制限される。だがこの一定の不自由さは上でも述べたように必然であるし、必要ですらある。しかし仕事での自己実現を過度に追い求めれば、March & Simon (1993) が「現実と個人がもつ自我理想の乖離から不満足は生まれる」と指摘するように、理想と現実のギャップに苦しみ不満を感じるだろう。例えばフラットな組織が注目されていることから分かるように、企業内の上下関係は敬遠されがちだ。だがそれは「最低限、上司と部下といった上下関係の中で行動することを受け入れる必要があるということだけ」(高橋, 2007) で、上司への絶対服従ではない。「1人の上司が直接、有効に管理・統制できる部下の数」、つまり「管理の幅 (span of management) には限界があり、そのために、大規模な組織では階層構造をとらざるをえなくなる」(高橋, 2007) のだ。

 またGoogleの人事担当副社長であるラズロ・ボックは「自由は絶対的なものではない。チームや組織の一員であるということは、ある程度は個人の自由をあきらめ、ひとりよりチームのほうが大きな成果を達成できる可能性を受け入れるということだ」(Laszlo, 2015) と述べる。またサイボウズ社長の青野慶久も、多様性のある組織を機能させるためには、説明責任(理想を伝える責任)、質問責任(意思決定を説明する責任)、そして理想が叶わないことや批判があってもそれを「受け入れる責任」が必要だと説く (青野, 2015)。常に思い通りにいくわけではないので、ある程度の我慢が必要である。なおこの理想とは「自分がどのように働きたいのか、そこから何を得たいのか」(青野, 2015) を指す。両者の意見には「受け入れる」という言葉が共通しているが、そのように長期的な視点に立ってある程度の我慢をすることも必要である。それではどうすれば社員は「受け入れる」、あるいは我慢することができるのか、経営理念への共感、組織コミットメント (OC)、などの視点から今後考察を深めていきたい。

 

参考文献

青野慶久 (2015)『チームのことだけ、考えた。』ダイヤモンド社.

Ciulla, J. B. (2000). The working life. Crown Publishing. 邦訳, ジョアン・キウーラ (2003)『仕事の裏切り』中嶋愛 訳, 翔泳社.

Laszlo, B. (2015). Work rules. Twelve. 邦訳, ラズロ・ボック (2015)『ワーク・ルールズ!』鬼澤忍, 矢羽野薫 訳, 東洋経済新報社.

松下幸之助 (1973)『商売心得帖』PHP研究所.

March, J. G. & Simon, H. A. (1993). Organizations. (2nd ed.). Cambridge, MA: Blackwell. 邦訳, ジェームズ・G・マーチ, ハーバート・A・サイモン (2014)『オーガニゼーションズ』高橋伸夫 訳, ダイヤモンド社.

佐伯啓思 (2014)『学問の力』筑摩書房.

橘木俊詔 (2011)『いま、働くということ』ミネルヴァ書房.

高橋伸夫 (2007)『コア・テキスト 経営学入門』新世社.

鷲田清一 (2011)『だれのための仕事』講談社.

組織で働くことに対するマイナスイメージの背景

  1. 導入

 先日、とある機会に宇野弘蔵の『価値論』を読んだ。宇野の文体は非常に洗練されておりゆえに読みにくいと言われるそうだが、私はそのマルクス理解は素晴らしいと感じた。以前から『資本論』には興味があったが難解なイメージがあり読めずにいたが、この機会に「他人のための使用価値」と「労働力の商品化」というマルクスの重要な2つのコンセプトについて理解が深められた。今回はこの2つの概念を用いて、私が日々感じている問題を少し解明してみたいと思う。

 それは組織で働くことに自分がマイナスイメージを持っていると感じたことから始まり、それは意外と他の人にも当てはまることで、故に企業の業績が低迷したり社会に不安感が蔓延したりしているのではないか、という仮説を私は持っている。ではなぜ自分と同世代の若者は組織で働きたくないと漠然とした不安を抱えているのだろうか。

 玄田 (2001) は若年の間の仕事に対する「曖昧な不安」が問題であると指摘する。これは「何が原因なのか、一体何がどうなるのか、よくわからない」という「ワケのわからない不確実性」である。彼のこの本でのゴール地点はその曖昧な不安を、その原因を明確にすることによって、「個人が冷静にファイトできる」ように支援することである。私も同じように不安の患部をあぶりだすことで、この問題への解決の糸口を探りたい。

 

  1. 「他人のための使用価値」とマイナスイメージ

 まず宇野 (1996) は商品経済が社会の一部分ではなく全体に広がったものとして、資本主義社会を定義する。彼はベーム・バウェルクのマルクス批判に対して、繰り返しこの社会的な側面を強調している。そしてこの資本主義が支配的な社会においては、生活資料、すなわち生活に必要な食糧や衣料品までも商品として購入することになる。以前は自分で作ったものを自分で消費していたのが、「自己の生産した生産物を商品として買わなければならない」という奇妙な構造に変わる。すなわち生産と消費が分断され、市場で売るために作るようになる。

 このような状況の背景を武田 (2008) は「生産の組織化」という言葉で説明する。以下は私の解釈になるが、マニュファクチュアの時代から機械制大工業になったことで効率化を実現し、生産性は大幅に向上した。特にイギリスの綿工業が有名である。バラバラに作っているよりまとめたほうがコストが安く済む、というのは経済学における「規模の経済」が教えるところであり、また各自が得意なところに特化し交換すれば効率的だというのは「比較優位」で説明される。このようにして人々が効率を求めた結果として資本主義は広がっていった。

 では市場における交換が前提となると何が起こるのだろうか。先にも「売るために作る」と述べたが、「他人のための使用価値」が重要になる。売れなければ商品ではないので、商品交換を起動するために、交換相手にとって有用かどうかが大きな関心となる。しかしこのような生産やそれに関わる仕事は以前とは様子が異なる。自分がいま目の前で作っているモノは自分が使うものではなく、よくわからない誰かが使うものである。その状態で自分の仕事に高いプライドを持った職人ならばまだしも、普通のサラリーマンがそのモノに心血を注ぎこむだろうか。むしろ適当にそれらしく作って、稼いだお金で余暇を楽しもうとするのではないだろうか。このようにモノとの関係がよそよそしくなり、お金を得ることが自己目的化する。独立時計師の菊野昌宏氏は「ビジネスのものづくりは効率性を優先して細分化、分業化、自動化され、つくり手と消費者の距離はおろか、つくり手と『もの』との距離までが遠くなっている」と指摘する (ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 06 月号)。これでは働くことはお金を得るための手段でしかなくなり、交換の対価としての「苦痛」というイメージが形成されてもおかしくない。

 

  1. 「労働力の商品化」とマイナスイメージ

 次に「労働力の商品化」である。まず労働力の商品化とは18~19世紀初頭のイギリスでの2度にわたる囲い込みによるもので、資本主義経済の確立に大きな役割を果たした。生産手段、すなわち土地から切り離された農民が生活資料を得るために自らの労働力を売るしかない状況が起きた。すなわち働くことで対価としてのお金を得て、それによって商品交換を行うというサイクルが出来上がった。本来ならば個々人に属する特殊な「労働力」というものまでも、時給換算される一定の一般性をもった商品に変えてしまうというのは何とも恐ろしいと私は感じた。この結果として企業は「使い捨ての「もの」としてしか、働き手を見ていない」(武田, 2008)。つまり人件費という言葉に現れているようにコストとしての働き手である。これを武田 (2008) は「顔のない人手」と表現する。すなわち労働市場において個々人に特有の個性が捨象され、ただ表面的なスキルの集合体としてのヒトになってしまっている。

 これはあくまでも雇用者側の視点だが、働き手のほうもこの状況に適応し、ある意味では自ら「顔のない人手」になることを選択しているようにも思われる。すなわち自らを商品として扱い、その市場価値を高めることを目指しているフシがある。私がそう考える理由は、英語力やITスキル、さらにはコミュニケーション能力といった、わかりやすい、すなわち個人間比較が可能で市場で評価しやすいスキルを自らに蓄えようとする傾向を感じるからだ。自らも労働市場への登場を控えている世代であり、そのような市場からの圧力や働き手側の適応を実感している。少し仕事からは話が逸れるが、自らを商品化することの別の例として特に若い日本人女性の美しさに対するこだわりもあげられると思う。私の実感として海外の女性は「積極的な美」を志向し、日本人女性は「受動的な美」を志向している。受動的というのは他人の目を非常に意識したもので、商品のようにすぐに消費可能な完成された完璧な美しさを身に纏おうとしているように見える。

 このように自らの市場価値を高めようとする意識の背景には会社など組織への不信感があるのだろう。かつてのような一度企業に入社すれば一生経済的安定が保証される、といった終身雇用はもはや信じられていない。となるといま勤めている会社の業績が悪化したり、倒産したりするときに備えて、どこでもやっていける能力、すなわち「汎用的スキル(general skill)」を自らに蓄えようとする (岩井, 2009)。そして転職を繰り返す ”job hopper” が増える。玄田 (2001) も示していたが入社して3年で会社を辞める割合は大学卒で約3割にものぼる。組織という安定した基盤を持たず、市場という大海に出ていくには常にスキルアップをし続け、そのスキルを売って生きていくしかないのだろう。

 話を仕事に戻すが、一見したところこのような労働の需要側のニーズと供給側の行動が一致しているならば問題はないように思われる。しかしこの市場取引可能なスキルは、市場競争にさらされて瞬く間に陳腐化し、価値が低下することは明白だ。どんどん当たり前の水準が上昇し、供給が増えれば価格が低下するのは経済学が教えるところだ。それに対抗するために、働き手は市場のニーズに常にレーダーを張り巡らせて、自らを柔軟に変化させることが必要となる。だが働き手は人間であり、スキルの塊ではない。このように個性を後回しにしてスキルの集合体として振る舞うことに働き手は違和感や窮屈さを覚えるだろう。これが労働力商品化の結果として生まれた働くことへのマイナスイメージの原因ではないだろうか。

 

  1. 結論

 以上では「他人のための使用価値」と「労働力の商品化」というマルクス経済学の2つの道具を使って、働くことへのマイナスイメージの理由について探ってきた。ではこのような現状に対してどのように向かって行けば良いのだろうか。漠然とした不安を抱えて働くことから逃げているだけでは問題は解決しないだろう。玄田氏も武田氏もその回答として「「労働の主人としての顔」を取り戻す」ことや「自分が自分のボスになる」ことを述べている。私もこの意見に基本的に賛成で、仕事に求めることを明確にし、主体性を回復することが必要だと考えている。

 私は現代の消費社会において問題となるのは、生産や働くことよりも消費することが先立っていることだと考えている。戦後すぐの時代に比べれば日本社会は非常に豊かになっており、働くだけでなく稼いだお金を使う時間的余裕が生まれている。そして現代において人は生産主体から消費主体に移っている。お金があれば何でも買えるという、その物神性が信奉されていることからも分かる。結果としてお金を得ることが自己目的化し、消費のためのお金を得るために消極的に仕事に参画するという現状だ。

 しかし、お金とはそれほど万能なものであろうか、と私は疑問を持たずにはいられない。働くというのは時間とお金を交換するプロセスだと私は考えている。だがその交換比率は今のままでよいのだろうか。すなわち生活に必要なものよりもはるかに多くのものを消費する過剰消費によって過剰労働に陥っているのではなかろうか。それよりも支出を見直すことで自分が生きていくために必要なお金の量を明確化し、ではどれだけ自分は働く必要があるのかというように、時間とお金の交換比率を見直すことが働く側に求められると考えている。時間があれば今までお金で雇っていたサービスを自分でできるかもしれない。例えばお金を払って保育園に子どもを預けていたところを、早く家に帰ったり、たまに休みを取ることで自ら子どもの面倒を見ることができるだろう。報酬を時間でもらうということもありだ。このように働くことに求める最低限のお金の量を個人が明確化できれば、それ以外に自分が働く組織には何を求めようか、というように主体的な問いかけを行い、積極的に組織における仕事と関わっていけると私は考えている。もちろんこういった働き方の実現には仕事の需要側、すなわち企業の制度改革(例:ワーク・ライフ・バランス(WLB)施策)も不可欠である。この自分の考えをただのアイデアに終わらせずに実現するためにさらに勉強を続けたいと思う。

 

参考文献

玄田有史 (2001) 『仕事のなかの曖昧な不安中央公論新社.

岩井克人 (2009) 『会社はこれからどうなるのか』平凡社.

武田晴人 (2008) 『仕事と日本人』筑摩書房.

宇野弘蔵 (1996) 『価値論』こぶし書房.

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 06 月号.