OWLの思考

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組織で働くことに対するマイナスイメージの背景

  1. 導入

 先日、とある機会に宇野弘蔵の『価値論』を読んだ。宇野の文体は非常に洗練されておりゆえに読みにくいと言われるそうだが、私はそのマルクス理解は素晴らしいと感じた。以前から『資本論』には興味があったが難解なイメージがあり読めずにいたが、この機会に「他人のための使用価値」と「労働力の商品化」というマルクスの重要な2つのコンセプトについて理解が深められた。今回はこの2つの概念を用いて、私が日々感じている問題を少し解明してみたいと思う。

 それは組織で働くことに自分がマイナスイメージを持っていると感じたことから始まり、それは意外と他の人にも当てはまることで、故に企業の業績が低迷したり社会に不安感が蔓延したりしているのではないか、という仮説を私は持っている。ではなぜ自分と同世代の若者は組織で働きたくないと漠然とした不安を抱えているのだろうか。

 玄田 (2001) は若年の間の仕事に対する「曖昧な不安」が問題であると指摘する。これは「何が原因なのか、一体何がどうなるのか、よくわからない」という「ワケのわからない不確実性」である。彼のこの本でのゴール地点はその曖昧な不安を、その原因を明確にすることによって、「個人が冷静にファイトできる」ように支援することである。私も同じように不安の患部をあぶりだすことで、この問題への解決の糸口を探りたい。

 

  1. 「他人のための使用価値」とマイナスイメージ

 まず宇野 (1996) は商品経済が社会の一部分ではなく全体に広がったものとして、資本主義社会を定義する。彼はベーム・バウェルクのマルクス批判に対して、繰り返しこの社会的な側面を強調している。そしてこの資本主義が支配的な社会においては、生活資料、すなわち生活に必要な食糧や衣料品までも商品として購入することになる。以前は自分で作ったものを自分で消費していたのが、「自己の生産した生産物を商品として買わなければならない」という奇妙な構造に変わる。すなわち生産と消費が分断され、市場で売るために作るようになる。

 このような状況の背景を武田 (2008) は「生産の組織化」という言葉で説明する。以下は私の解釈になるが、マニュファクチュアの時代から機械制大工業になったことで効率化を実現し、生産性は大幅に向上した。特にイギリスの綿工業が有名である。バラバラに作っているよりまとめたほうがコストが安く済む、というのは経済学における「規模の経済」が教えるところであり、また各自が得意なところに特化し交換すれば効率的だというのは「比較優位」で説明される。このようにして人々が効率を求めた結果として資本主義は広がっていった。

 では市場における交換が前提となると何が起こるのだろうか。先にも「売るために作る」と述べたが、「他人のための使用価値」が重要になる。売れなければ商品ではないので、商品交換を起動するために、交換相手にとって有用かどうかが大きな関心となる。しかしこのような生産やそれに関わる仕事は以前とは様子が異なる。自分がいま目の前で作っているモノは自分が使うものではなく、よくわからない誰かが使うものである。その状態で自分の仕事に高いプライドを持った職人ならばまだしも、普通のサラリーマンがそのモノに心血を注ぎこむだろうか。むしろ適当にそれらしく作って、稼いだお金で余暇を楽しもうとするのではないだろうか。このようにモノとの関係がよそよそしくなり、お金を得ることが自己目的化する。独立時計師の菊野昌宏氏は「ビジネスのものづくりは効率性を優先して細分化、分業化、自動化され、つくり手と消費者の距離はおろか、つくり手と『もの』との距離までが遠くなっている」と指摘する (ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 06 月号)。これでは働くことはお金を得るための手段でしかなくなり、交換の対価としての「苦痛」というイメージが形成されてもおかしくない。

 

  1. 「労働力の商品化」とマイナスイメージ

 次に「労働力の商品化」である。まず労働力の商品化とは18~19世紀初頭のイギリスでの2度にわたる囲い込みによるもので、資本主義経済の確立に大きな役割を果たした。生産手段、すなわち土地から切り離された農民が生活資料を得るために自らの労働力を売るしかない状況が起きた。すなわち働くことで対価としてのお金を得て、それによって商品交換を行うというサイクルが出来上がった。本来ならば個々人に属する特殊な「労働力」というものまでも、時給換算される一定の一般性をもった商品に変えてしまうというのは何とも恐ろしいと私は感じた。この結果として企業は「使い捨ての「もの」としてしか、働き手を見ていない」(武田, 2008)。つまり人件費という言葉に現れているようにコストとしての働き手である。これを武田 (2008) は「顔のない人手」と表現する。すなわち労働市場において個々人に特有の個性が捨象され、ただ表面的なスキルの集合体としてのヒトになってしまっている。

 これはあくまでも雇用者側の視点だが、働き手のほうもこの状況に適応し、ある意味では自ら「顔のない人手」になることを選択しているようにも思われる。すなわち自らを商品として扱い、その市場価値を高めることを目指しているフシがある。私がそう考える理由は、英語力やITスキル、さらにはコミュニケーション能力といった、わかりやすい、すなわち個人間比較が可能で市場で評価しやすいスキルを自らに蓄えようとする傾向を感じるからだ。自らも労働市場への登場を控えている世代であり、そのような市場からの圧力や働き手側の適応を実感している。少し仕事からは話が逸れるが、自らを商品化することの別の例として特に若い日本人女性の美しさに対するこだわりもあげられると思う。私の実感として海外の女性は「積極的な美」を志向し、日本人女性は「受動的な美」を志向している。受動的というのは他人の目を非常に意識したもので、商品のようにすぐに消費可能な完成された完璧な美しさを身に纏おうとしているように見える。

 このように自らの市場価値を高めようとする意識の背景には会社など組織への不信感があるのだろう。かつてのような一度企業に入社すれば一生経済的安定が保証される、といった終身雇用はもはや信じられていない。となるといま勤めている会社の業績が悪化したり、倒産したりするときに備えて、どこでもやっていける能力、すなわち「汎用的スキル(general skill)」を自らに蓄えようとする (岩井, 2009)。そして転職を繰り返す ”job hopper” が増える。玄田 (2001) も示していたが入社して3年で会社を辞める割合は大学卒で約3割にものぼる。組織という安定した基盤を持たず、市場という大海に出ていくには常にスキルアップをし続け、そのスキルを売って生きていくしかないのだろう。

 話を仕事に戻すが、一見したところこのような労働の需要側のニーズと供給側の行動が一致しているならば問題はないように思われる。しかしこの市場取引可能なスキルは、市場競争にさらされて瞬く間に陳腐化し、価値が低下することは明白だ。どんどん当たり前の水準が上昇し、供給が増えれば価格が低下するのは経済学が教えるところだ。それに対抗するために、働き手は市場のニーズに常にレーダーを張り巡らせて、自らを柔軟に変化させることが必要となる。だが働き手は人間であり、スキルの塊ではない。このように個性を後回しにしてスキルの集合体として振る舞うことに働き手は違和感や窮屈さを覚えるだろう。これが労働力商品化の結果として生まれた働くことへのマイナスイメージの原因ではないだろうか。

 

  1. 結論

 以上では「他人のための使用価値」と「労働力の商品化」というマルクス経済学の2つの道具を使って、働くことへのマイナスイメージの理由について探ってきた。ではこのような現状に対してどのように向かって行けば良いのだろうか。漠然とした不安を抱えて働くことから逃げているだけでは問題は解決しないだろう。玄田氏も武田氏もその回答として「「労働の主人としての顔」を取り戻す」ことや「自分が自分のボスになる」ことを述べている。私もこの意見に基本的に賛成で、仕事に求めることを明確にし、主体性を回復することが必要だと考えている。

 私は現代の消費社会において問題となるのは、生産や働くことよりも消費することが先立っていることだと考えている。戦後すぐの時代に比べれば日本社会は非常に豊かになっており、働くだけでなく稼いだお金を使う時間的余裕が生まれている。そして現代において人は生産主体から消費主体に移っている。お金があれば何でも買えるという、その物神性が信奉されていることからも分かる。結果としてお金を得ることが自己目的化し、消費のためのお金を得るために消極的に仕事に参画するという現状だ。

 しかし、お金とはそれほど万能なものであろうか、と私は疑問を持たずにはいられない。働くというのは時間とお金を交換するプロセスだと私は考えている。だがその交換比率は今のままでよいのだろうか。すなわち生活に必要なものよりもはるかに多くのものを消費する過剰消費によって過剰労働に陥っているのではなかろうか。それよりも支出を見直すことで自分が生きていくために必要なお金の量を明確化し、ではどれだけ自分は働く必要があるのかというように、時間とお金の交換比率を見直すことが働く側に求められると考えている。時間があれば今までお金で雇っていたサービスを自分でできるかもしれない。例えばお金を払って保育園に子どもを預けていたところを、早く家に帰ったり、たまに休みを取ることで自ら子どもの面倒を見ることができるだろう。報酬を時間でもらうということもありだ。このように働くことに求める最低限のお金の量を個人が明確化できれば、それ以外に自分が働く組織には何を求めようか、というように主体的な問いかけを行い、積極的に組織における仕事と関わっていけると私は考えている。もちろんこういった働き方の実現には仕事の需要側、すなわち企業の制度改革(例:ワーク・ライフ・バランス(WLB)施策)も不可欠である。この自分の考えをただのアイデアに終わらせずに実現するためにさらに勉強を続けたいと思う。

 

参考文献

玄田有史 (2001) 『仕事のなかの曖昧な不安中央公論新社.

岩井克人 (2009) 『会社はこれからどうなるのか』平凡社.

武田晴人 (2008) 『仕事と日本人』筑摩書房.

宇野弘蔵 (1996) 『価値論』こぶし書房.

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 06 月号.

人事の歴史

  • 歴史

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1960年代…

・人事管理(Personnel Management, PM):労働市場論や労使関係論など応用労働経済学を理論的基礎

←「伝統的管理モデル」…テイラー(F. W. Taylor) の科学的管理法、ファヨール (J. H. Fayol) の管理論 // 現在の成果主義賃金の源流となる「差別出来高賃金制度」など。

・「経済人」仮説=企業家は利潤の最大化、労働者は賃金収入の最大化を目指す、という経済的動機によってのみ行動する人間を想定。作業者は受動的な生産用具。

(内容) 工場の物理的環境条件と作業効率との関係を問題にした。各ライン管理者に権限を集中し、機械的な目標管理や業績評価を行う。

 

←「人間関係モデル」…メイヨー(G. E. Mayo) 、レスリスバーガー (F. J. Roethlisberger) // モラル・サーヴェイ、提案制度、社内報、カウンセリング、などの施策は現代の企業にも広く定着している。

・「社会人」仮説=経済的動機だけでなく、友情、安定感、帰属感の欲求(集団への所属の欲求)を満たそうとする社会的動機を持った社会関係の中に存在する人間を想定。

(内容) 人間関係論は従業員の動機の満足度がモラール(士気、意欲)に影響し、モラールが高ければ生産性が高い、という仮説を採用した。メイヨーとレスリスバーガーを中心としたハーバード大の研究者がウェスタン・エレクトリック社の工場で行ったホーソーン実験(1924-32年)が有名で、無意識的・自然発生的に形成され、暗黙の規範が作用しているインフォーマル組織を発見し、そこでの人間関係が作業効率や生産性を左右することを明らかにした。

1970年代~1980年代…

・人的資源管理(Human Resource Management, HRM):心理学や社会学をベースにした行動科学

←「人的資源モデル」…リッカート(R. Likert)のシステム4理論、アージリス(C. Argyris)の組織とパーソナリティ、ハーズバーグ(F. Herzberg)の動機づけ要因、(D. McGregor)のX/Y理論、マズロー(A. Maslow)の欲求5段階説 // OJTやOff-JTなど従業員の能力開発施策や従業員参加を促進する施策など。

・「自己実現人」仮説=無限の価値と能力、貢献する意欲がある存在としての人間を想定。

(内容) 職場の物理的環境や社会的環境(人間関係)ではなく、仕事や職務そのものを改善する職務再設計(job redesign)を行う。向上心や意欲を持った主体的な存在として人間を扱い、人的資源を企業主導で管理するのではなく、企業は従業員の能力発揮の意欲を引き出し、能力開発を支援する役割を果たし、従業員は自律的な内部統制(intrinsic control)によって企業の業績に貢献する。

←企業が人的資源に注目し始めた理由は、差異性そのものが標準を上回る利潤(レント)の源泉となる「ポスト産業資本主義」への移行である。以前の産業資本主義では18世紀後半から19世紀前半の産業革命に始まる機械制大工業によって、利潤の源泉は工場にある機械であり、ヒトは補助的な役割しか果たさなかった(コスト・センター)。しかし代表的な経営資源であるモノ・カネは次第に標準化し、経済的価値(Value)の低下、陳腐化(Rarityの低下)、模倣が容易になる(Inimitabilityの低下)によって、持続的競争優位(sustained competitive advantage)の主要な源泉ではなくなる。それに対して差異性を産む人的資源(ヒト)やそれを活用する組織(Organization)が重要な資源として注目されるようになった(プロフィット・センター)。

←1980年代

戦略的革新運動(strategic renewal movement)…グローバルな企業競争の激化が背景。個々の人事施策の評価ではなく、それらの相互関連的な組み合わせや、人材マネジメントと経営戦略との関係といった視点を取り入れた、マクロ組織論的アプローチが主流。この運動の実質的な牽引役が経営戦略論であり、特にポジショニングスクールのポーター(M. E. Porter) と経営資源スクールの (J. B. Barney) が代表的。その中でもバーニーが体系化した資源ベース理論(Resource-Based View)は,人的資源とそれを扱う人材マネジメントを企業の持続的競争優位の源泉とみなした。

1980年代初め…

戦略的人的資源管理(Strategic Human Resource Management: SHRM)

・ベストプラクティス・モデル // Beer et al. (1984)『ハーバードで教える人材戦略』 やPfeffer (1994) “Competitive Advantage Through People.”が代表的な文献。

(内容) ベストプラクティス・モデル(best-practices model)と呼ばれ、従業員の能力開発に投資し、経営への信頼を促進し、組織目標への従業員のコミットメントの獲得を重視したことなどが特徴。ハイ・コミットメント人事システム(High Commitment HR System)、ハイ・インボルブメント人事システム(High Involvement HR System)、ハイ・パフォーマンス労働システム(High Performance Work System)、の3つのモデルがある。(コミットメントとは、従業員の会社・職場・仕事に対する親近感・肯定的な感情や態度のこと) 高い能力と勤労意欲を持った有能な人材を育成・確保し、参加施策で企業組織における献身的な努力を引き出し、その努力の方向性と企業目標を擦り合わせることで高業績を達成する。人間関係論の社会人仮説を引き継いだ、仕事で幸せな労働者が高い職務業績をあげるという「幸せな労働者仮説」(happy-worker thesis)を採用している。HRMのソフト・モデルには以下の2つの考え方があり、時系列順にベストプラクティス・アプローチとコンフィギュレーショナル・アプローチである。

(1) ベストプラクティス・アプローチ(best-practices approach)

経営戦略を含むあらゆる状況・組織に普遍的に妥当する最善のHR施策としてのHPWP(High Performance Work Practices)のリスト化を図る。1960 年代後半以降のアメリカにおける対立的な労使関係の改善や、従業員の職務満足やコミットメントの改善・向上をめざすQWL(Quality of Working Life)運動の実験的な成功体験の積み重ねを踏まえた提案を行っている。

(2) コンフィギュレーショナル・アプローチ(configurational approach)

経営戦略とHRMの整合というコンティンジェンシー・アプローチの問題意識を踏まえつつ、HR施策間のシナジーを重視した内部適合(internal fit)をもつ HR 施策の最善の編成としての HPWS (High Performance Work System)を追求する。企業調査にもとづく実証的な方法論を特徴としている.

1980年代半ば前後…

・ベストフィット・モデル // Devanna et al. (1982) “Human Resource Management: a strategic perspective.”が代表的な文献。SHRM研究の文献レビュー:守島 (1996)「戦略的人的資源管理論のフロンティア」『慶応経営論集』13(3), 103-119.

(内容) 戦略と人事制度の整合性(fit)を追究するベストフィット・モデル(best-fit model)や環境に応じて最適解が異なるとするコンティンジェンシー・アプローチ(contingency approach)と呼ばれ、経営戦略と人材マネジメントとの適合を重視し、人材マネジメントを経営戦略遂行の手段と位置付ける。①競争戦略を類型化することで戦略に対応したHRMを採用し高業績をあげようとする、②Chandlerの「組織は戦略に従う」という立場に基づきHRMを経営戦略の下流に置く、などの特徴がある。テイラーの科学的管理法のDNAを受け継ぎ、従業員の主体性を重視せずに、人事制度や管理者による外部統制(external control)を行う。適切な組織構造やHRM制度の設計が必然的によい組織業績をもたらす、というマクロ組織論的アプローチが中心である。「企業が採用する戦略に応じて有効なHRMのあり方は異なるのではないか」という考え方に基づき、経営戦略とHRMシステムの最適な整合を追求する。戦略実行に必要な従業員の役割行動や職務遂行能力を特定し(Shuler and Jacksonのチェックリストなど)、その能力を持つ人材を調達・育成・維持・動機付けるHRMシステムの編成を考える。

 

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 以上のような考え方に基づいたSHRMは現在、「戦略人事」や「経営人事」という言葉とともに注目されている。しかし産業界に強い影響力を発揮したのは、SHRM そのもののモデルではなく、資源ベース理論を踏まえた SHRM 的な個別の提案であった。具体的にはAtkinsonの「柔軟な企業モデル」(the model of flexible firm)やLepak and Snellの「人材ポートフォリオ理論」(employment mix)であった。また「パフォーマンス・マネジメント」という考え方も広がっており、企業の戦略と働き手の貢献を結びつけていくための方法論で、業績評価とは異なり戦略目標を細分化した下位の目標を職責や期待水準としその達成度を評価する。SHRMについては様々な批判も行われており、それを受けた修正として、Guest の「心理的契約」(psychological contract)、Schuler and JacksonのHRMの「利害関係者モデル」(stakeholder model of HRM)などがある。

 

  • まとめ

 人事の歴史は企業が「人間」をどのように扱ってきたかに対応している。現代では働く人も自分自身を主体的な存在と考え、経済的・社会的動機だけでなく、自己実現動機に基づいて裁量の幅が広いことやある程度「自由」に自己決定できることを求めている。一方でテイラーが主張したような成果主義的賃金制度も取り入れられつつあり、業績評価が報酬に直接反映されることも「自由」な仕事の1つの条件なのかもしれない。このように人は個々人で様々に異なるものを働くことに求める、行動の予測が困難な主体的な存在である。その意味でベストプラクティス・アプローチが追究するようなあらゆる人に適合する人事(HRM)制度の設計は難しいだろう。かと言ってすべての人に別々の人事制度を用意することも企業組織が大きくなれば非現実的である。

 これに対して「マス・カスタマイゼーション」という効率性を維持しつつ、個々のニーズに応えるという考え方がある。これは相反するものを同時に追究する考え方であり、実際にそのような方法があるのかについては疑問が残るが、人事に当てはめると一貫した設計思想を持ちつつ、個々の働き手の意見を反映して調整する(calibration)というものであろうか。岩出 (2013)は「特定の HR 施策の成功は,従業員がその施策を「受容」(acceptance)するかどうかにかかっているといえる」と述べる。施策を完璧にデザインできたとしてもそれを受容する従業員の「納得感」が得られなければ、よい制度とは呼べないだろう。

 またハードHRMが重視する経営戦略とHRM制度のフィットだが、これはポーターの完璧に計画されたものとしての意図的戦略やチャンドラーの戦略に従うものとしての組織や人という考え方に基づいている。これに対して近年、漸進主義や組織学習による実行されたものとしての創発的戦略が注目されている。競争環境が急速に変化しているハイパーコンペティション状態の現代において、外部環境に対応し、さらに自らイノベーションを起こして先制破壊を行うためにも企業として柔軟性を確保することが重要な戦略となる。その場合にはHRM制度はどのように設計されるべきなのだろうか。このような疑問に対してはあらゆる企業に当てはまる最適解はないだろうが、成功している事例もあるだろう。その事例を分析することによって企業業績と働く人にとってのよい仕事経験が両立される方法を考えたい。

 

  • 参考文献

岩出博 (2013)「戦略人材マネジメントの非人間的側面」『経済集志』83(2), 63-83.

木村琢磨 (2007)「戦略的人的資源管理論の再検討」『日本労働研究雑誌』49(2・3), 66-78.

江春華 (2003)「人的資源管理の生成と日本的経営」『現代社会文化研究』26, 129-146.

会社組織におけるインセンティブの重要性 ~『ゼミナール経営学入門』より~

  • 従業員のエネルギーと企業のインセンティブ

 この本の第9章では組織マネジメントの全体像が明らかにされた。そこでは個々に様々な目的や思考パターンを持った主体的な存在である従業員が、協力して業務行動や学習を行うことで、企業の業績が現れるということが述べられている。しかし従業員が頭で考えて会社のために行動計画を立てたとしても、実際の行動に至るにはギャップがある。そのギャップを飛び越え、実際の行動に踏み切るには「心理的エネルギー」が必要となる。簡単な言葉で言えば「やる気」である。そこでインセンティブシステムが重要となる。これはこの本で述べられているように「協働にエネルギーを投入しようとする意思を引き出す」役割を演じている「多くの人が欲しがるものを組織の人々に配分する仕組み」である。

 バーナードの『経営者の役割』も引用されているが、彼も、組織の本質的要素は人々が自分のエネルギーをその組織に提供しようとする意欲と説き、「どんな組織でも、十分なインセンティブを与えられるかどうかが、その組織の存続をかけたもっとも強調される仕事となる」と述べている。この意欲は「この組織(会社)のために頑張ろう」という気持ちである。組織が目標とする業績を達成するためのエネルギーが、従業員の努力やエネルギーの総体であるとすれば、組織での協働に個人が自分のエネルギーのどれだけの割合をどれだけ意欲的に提供してくれるか、ということが問題となる。この意味で適切なインセンティブシステムを設計することが、組織マネジメントを任されたマネージャーがもっとも注力すべき問題であるといえる。

 

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  • 人が持つ5段階の欲求

 では具体的にどのように考えていけばよいのだろうか。この本では、(1)人は一般にどんな欲求を持っているか、(2)人は企業組織に何を求めるのか、(3)組織はどんなインセンティブを与えられるか、という順に考えを進めている。

 まず1つ目についてマズローの『人間性の心理学』から「欲求5段階説」を参照している。これはよく知られている説だが、人間の欲求を5つ(ⅰ 生理的欲求、ⅱ 安全の欲求、ⅲ 所属と愛の欲求、ⅳ 承認の欲求、ⅴ 自己実現の欲求)に分け、それら低次の欲求から高次の欲求へシフトしていくことを明らかにした。この説は自分の経験と照らし合わせて直感的に納得のいくものである。4つ目の承認の欲求は内発的なものと外発的なものに分けられ、前者は自尊心(self-esteem)のようなものであり、後者は他者/社会から認知/承認されることを求めることであると私は解釈する。個人的にはこの自尊心と5つ目の自己実現欲求の区別が曖昧であると感じた。なぜならどちらも自分の能力や達成したことを自分が誇らしく思ったり、それに満足を感じたりすることを求めているからだ。他者承認による満足と自分の目標を達成した満足に分けたほうがわかりやすいと思う。すなわち承認と自己実現の差は他者との比較の有無である。

 

  • 人が会社に求めるもの

 この本では「企業とは、収入を得る場であり、仕事をする場であり、人間関係をもつ場なのである」と述べられる。安定した収入、居場所や所属感(同僚との交流)、他者承認(会社での地位)、自己実現(仕事の面白さ)を働くことに求めている。この中で収入以外は仕事以外からも得ることができる。しかし収入を得るということは仕事に特有ではないだろうか。したがって働く最も基本的な理由は安定した収入を得て、最低限の生活水準を維持することであろう。その他の要素はプラスαであり、従業員の個々人に固有で、すべての従業員のニーズを満たすことは不可能である。

 

  • 組織が与えるインセンティブ

 ではこのような欲求を持った従業員に対して、どういったインセンティブを与え、喜んで働いてもらうことができるのだろうか。この設計においては主に2つのことに注意すべきである。1つ目は何を分配の中心にするかである。お金なのか地位なのか仕事の裁量なのか仕事の内容や面白さなのか。2つ目はその分配決定の尺度である。以下では前節で最も基本的な欲求だと述べたお金について考えてみたい。

 まずハーズバーグの衛生要因と動機づけ要因が有名である。前者は最低限の欲求を保障するものであり、後者が従業員のやる気を引き出すものである。収入が衛生要因となるのは、会社が給料として生活に最低限必要な分を保障する場合である。動機づけ要因としては成果主義や業績に連動した報酬のように、お金によって頑張りを引き出すものである。営業部の契約件数に連動した給料や工場のラインでの生産個数に応じた賃金の支払いがこれにあたる。またそれ以外にもお金というのは職場社会での他者承認の尺度、自分の頑張りに対する会社からのフィードバックであり、その意味で承認欲求を満たすことができる。

 高橋伸夫『<育てる経営>の戦略』に即して述べると、日本企業の雇用の特徴として「日本型年功制」があり、その説明として高橋は日本企業の給料は「年齢別生活費保障給」の側面が強いと述べる。すなわち日本企業における給料は最低限の生活費を支給するという意味で、衛生要因として働く。そして従業員のやる気を引き出す方法としては、成果を出せば次の仕事の内容や面白さで報いる、上司がみんなの前で褒める、といった、給料以外でのご褒美を多く用いている。高橋は成果主義を批判しているが、私もそれに賛同する。自分が頑張ったご褒美としてたくさんのお金を与えられるだけで、誰からも感謝されたり褒められたりしない、というのはいささか人間味にかける評価方法ではないだろうか。

 

  • インセンティブの源泉としての企業成長

 最後にインセンティブの総量を増やし、またその源泉を多様化するために、企業にとって成長が必要であるという考え方が新鮮だった。組織が大きくなれば利益も増え、さらに役職が増え、また今までよりも面白い仕事をする機会も増える。成長によって企業は標準以上の利潤(すなわちレント)を得ることができるので、従業員の賃金を保障し生活の安定に貢献することもできる。

 しかし標準以上の利益を得る会社があるということは、当然だが他方では標準以下の利潤しかあげられていない会社があるということで、そのように他者を常に意識して競争を繰り返すことは苦しいことのように思われる。